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2008年12月

2008年12月25日 (木)

鳥肌

曖昧に否定したい気持ちもありつつ
それでもイカンなぁと言う煮え切らなさと
久しぶりの友達からの誘いもあったので出かけました。

渋谷はクリスマスイブと年末の気遣いでごった返した人の中
正月用の紙と筆ペンを購入。
筆ペンは昔から実家にあった物の中で不思議な印象を持ったモノの一つ。
おばあちゃんの思い出。
今まで近くにあったのに使わなかった道具の一つ。
今は使いたくなった道具。

友達のSさんはparisに住んでいる。
年末と言う事でこちらに帰ってきた。
久しぶりにふたりで話したけれど
何だか会話が噛み合ない。
それはそれで面白いし、彼女の言葉には説得力と自信が感じられたのだけれど
今の僕には寂しい感じがした。
でも別々の人間として正しい態度なのだと思う。

遅れてもう一人の友達と合流後
この日、出向いたHARAJUKU PERFORMANCE+PLUS
あんまり気が進まなかったのだけれど
その思いは全く間違えていた。

山川冬樹+飴屋法水のパフォーマンス。
突き抜けた感覚/美意識に鳥肌。
血を使うとか、子供の朗読とか、嶋田久作さんの存在感なども
十分に必要不可欠な構成要素だったけれども
結果としての印象が僕にはすばらしい。

山川さんのパフォーマンスは何度か拝見したことがあったのだけれど
この日がベストアクト。
好き嫌いではなく理想的なアウトプット。
あそこまで自身の美意識を磨ききったものを見たのは今年初めてだった。

幼少期の思い出、これからの想像、肉体、可能性、好きな人のこと。

いろんな事が頭の中に巡らされて結果、昇天。
思わず拍手を忘れてました。

珍しいキノコ舞踏団も良かったです。
あまり書くと陳腐になるのでやめておきます。

鳥肌実は期待していた分楽しめました。
あまり書いたところで陳腐なので割愛します。
でも扇子を買ってしまいました。
次は違う場所で拝見したいと思います。

多分これほど表現って言う言葉に多くの人が引き込まれるっていうのも
今の時代的に大事な日本の要素だと思います。
みんながみんなチャンスがあると思えるのは幸せな事。

でもホントは・・・

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2008年12月24日 (水)

自分の態度を決めかねる。

20日のラフォーレにいかれた方が何人いるかは知らないのですが、
僕もサブカル日本の一構成員として見に行ってしまいました。
個人的には渋谷慶一郎のliveを体験したかったのだけれど
出不精の僕に誘いをかけてくれた友達のおかげで出かけられたわけです。

ただその日は朝から別件で朝が早くてラフォーレに着いた時には
もう目がしなしなになっていて
栄養ドリンクかビールかの選択に即座にビールを選び
身体的にもへろへろになってしまいました。

結果最初のdvdは何とか体験出来たのですが、
その後はよく煩悩のまま外でchill。
渋谷さんの時間にはテンションが上がってグイグイ動けたのですが
轟音ノイズとお客さんの多さに参ってしまいました。

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ライブは楽しいんです。
完璧な演出がされていればそれで良いし、
未完でも人間的な温度や雰囲気を体験出来るから
それを感じるのも醍醐味なんですが、
この日は何だか疲れてしまった。
渋谷サンのライブは初体験で面白かったし、
他の参加されてた人たちも一般的ではない
独特な事をパフォーマンスされているのだけれど、
何だか閉じてる気がしたんですよ。

その場限りというか、前後は関係ねぇよ的な空気と言うか。

まぁ、僕が前後のコンテキストを繋げられなかったと言えば
そういう事だけの話ですが。

サブカル日本の自由主義的に各々が勝手に自由に表現して
それをオモシレ〜と感じれればそれで良いのだけれど
多分僕は別のモノをもとめてたんでしょうね。
求めるばかりだとイカンのだなぁ、と。
受け止める側もそれなりの態度をとらなイカンなぁと思い至ったわけです。

そして今日もラフォーレの続きがあって誘われているのだけれど
どうも乗り気になれてません。

食傷気味なんていうと偉そうだけれど
自身の中の態度を定めないと楽しめなさそうで。
楽しめてないと誘ってくれた友達にも悪いしね。

あと数時間考えてみます。
お金も無いしね。

 

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2008年12月22日 (月)

否定と否定を掛け合わせていくと肯定になることもある?

僕はジャケットとパンツはいくつか持ち合わせているものの
スーツは持っていない。
最近増えた結婚式にも上下別布のスタイルで参加している。
そこにカッコいい流儀があれば良いのだけれど・・・無いですね。
スーツを買う、用意する、必要とされる機会を作らなかっただけの話。

最近読み終えた本の中に
イタリアはナポリのサルトの人たちの本がある。
本と言っても難しい物ではなく、
様々なトピックスを豊富な写真と共に分かり易く編集されている。
ナポリのスーツの歴史、名人、環境、制度などを
とても分かり易く説明してくれていて僕のような入門者には有り難いモノだった。

その本に感化されて
「さて、僕もそろそろスーツの一着でも仕立てて貰おうかな」
ということにはならず、
「僕がなぜこの本に興味を持ったのか」という
僕だけにしか興味のない僕だけの為に考えてみたかっただけの話。

そういう事に時間を使ってみた方がいいと思う訳です。

自分の生活に有益な事、会社の為になる事、社会の為になる事。そういう事を考えた方が計画的に物事を進められるとは思うけれど、皆が皆そう考えれる事は無いし、同じ答えを導きだす事も無い。それが面白いんだけれど、最初から外れてても良いのではと思います。

その結果に対して誰かが上手い理由付けをしてくれたら残るし誰にも共感してもらえなければ消えていくと言うだけの事。

でも、本気で考えていたら形にならずとも次に繋がる燃料になると思ってるんですけどね。

そう考えるとこういう時間も良いかもと思えるという話。

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