雑念として
岡山で生活するようになって
もう一ヶ月が経ってしまった。
かといって
僕が生活をするこの地域の事が
何かしらわかる事もなく
家と会社の往復で
毎日がドンドン過ぎていく。
それでも不都合があるわけではなくて
不満もさほど感じないから
不思議な感じだ。
東京にいた頃は
何かしらに対して不満と不安があった。
強い人間はそこに
自身の動機付けを行い
どんどん広がっていけるのだろうけれど
僕はさほどの行動を起こせたわけではない。
それでも
自分の中で何かしらの熱は溜まっていたから
外に出て行けたのだと思う。
今は不安は相変わらずだけれど
過剰な不満が無い事が不満だ。
僕は仕事をする場所は選んだけれど
生きていく場所を選んだわけではないから。
一方的な刺激物が少ない事は
自分にとっては良い事で
そこで自分の内面と向き合う時間が作れる。
静かなスタイルと実直な行動。
ただ、それは今の土地特有のものであるはずも無く
世界中の何処にでもあるわけで
そこの事を知らずに
温々と流されていく事には
全く興味が無いし、恐ろしくも感じる。
僕が知らないだけで
何処にいようとも
WARNINGな場所はあり
この町にも存在していて
仕事を通して少しづつ気付いてきた。
"書を捨て、街へ出よう"
と言ったのは寺山修司だけれど
あれは東京だけでも新宿だけでもなく
いつだって何処の街でも言える
キャッチコピーだったはず。
そう思いながら
今日も会社のアトリエに座っている。
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