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2007年8月

2007年8月31日 (金)

許可証

東京にいる事で
情報を選び、スタイルを選び、人を選んだ
生活が自然と送られている。
過剰な物流の中にいながらも
実際は選択を繰り返し
自分に必要と不必要を分けているので
僕自身はシンプルな生活を
しているように思っている。

勿論その選択しの多さの恩恵は
十分に受けていて
いくらでも掘り下げられる
アンダーグラウンドな世界も
広がり続ける
グローバルな価値観も
同じ場所にいながら見る事は出来る。

ん?
でも、それらに参加する許可証は
僕は持っているのかしら。
参加する権利は認められているのかしら。
参加したつもりが、その実
商業ベースに
わずかながらのお金を落として
来ただけなんじゃないかしら?
そんな疑問が頭を過った。

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2007年8月30日 (木)

新たにモヤモヤ

全く耳に入らない
携帯のアラームに取って代わり
不穏な着信音に起こされる。
飛び起きてからは
一気に時間が動き出した昨日の一日。

やや躊躇しながらも
木内君の呼び出しに答え
自転車を駆る。
久しぶりの外苑西通りは
暫くぶりの乱雑さに
懐かしさを感じる。

西麻布を抜け
青山墓地を横切り
ベルコモンズまでの道のりには
なみなみならぬ思い出が詰まっている。

外苑前でミーティング。
木内君、Oさんに
少し時間を作ってもらって
話を聞かせてもらう。

製造業の時給自足。
今の時代から自己完結に至るまでの準備。
それぞれの思考の遍歴。
日本人としてやるべき事。

プロの方との話は身にしみると共に
新しいモヤモヤが頭に生まれる。
一つ一つに納得するには
やはり経験が物を言うのだろう。

「江戸時代の川上、川下の文化は
 西洋のそれに比べて大変優れていた。
 それが戦後の敗戦国として
 西洋からの伝来品をありがたがるしか
 手段が無くなってしまった。」

「世界的なエコロジーの波の中で
 今は残る物を考えられない人は
 物を作ってはいけない時代になっている」

「日本人として日本の優れた文化風土を
 残す準備はしようと思います」

Oさんの経験知からの言葉に
関心と共感とモヤモヤが
頭の中で絡まり始める。

その後、バイト先の企業研修を受ける。
3回目の経験だけれど
ここの上層の人も
確実にプロの人たち。
奇妙なテンションの参加者達を
ひとえに束ね促して行く。
一つ一つのメソッドの裏側に
はっきりした裏付けがあり、
分かりやすく伝えて行く。

その場の妙にフレンドリーな雰囲気は別にして
何を伝えたいのか、
そしてどう伝えれば広がるのかを
きちんとシュミレートする姿勢は
ヌクヌクの立場の僕には
鋭く突き刺さってきた。
研修後は現場で働く事にした。

プロを垣間みる時間は
今の僕に鋭い刺激を与えてきた。
それが心地よいモノかは分からないけれど
どんなに親しみやすさがあろうとも
ある種の真剣さは非常に残る。

これに感化されるほど
僕は純真では無いけれど
それらの姿勢には
いくつかのバリエーションを
僕や隣の誰かに教えてくれるものだった。

多様なモヤモヤが立ちこめる
今の頭の中で
混乱が起きている。

でもねぇ。
ここでいい加減に過ごすと
とんでもないつけに襲われそう。
自分なりの踏ん切りをつけなくては
次の10年がやばいと思って
暫く過ごします。

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2007年8月29日 (水)

ボロボロの表紙

昔、小学校で
毎月配られる日記帳の表紙に
その時期の子供なら皆やるように
漫画の絵を書くのが楽しみだった。
"セイント星矢"とか"不思議の海のナディア"とか。
最初は模写から始まって
微妙に上手く描けると
友達から褒められた。
また描いた絵のチョイスに
その子の嗜好が現れて
僕はキャラクターよりも
俄然メカとか武器に偏って行く。

そのうち誰よりも
抜群に上手い(似ていると言う意味で)女の子が出て来た。
僕は何度も書き直していたので、
乏しい日記の内容とは別に
日記帳の表紙はボロボロになって行くのだけれど
その子の描く線は全く
書き直された線が無くて驚いた。
なんでそう出来るのか、
不思議に思いつつ自分も気をつけて
線を引いていた。
しかし、無理だった。

暫くしてその子は
トレイシングペーパーを使って
線をなぞって描いている事が分かった。
今思えばなんて事無いけれど
当時は「何じゃ、それは」と思い、
僕は躊躇無く真似をしてみた。

確かに似ている。
暫く写しまくった。
しかし、そのうち
描くというよりも写すと言う事に
飽きてしまった。
こぎれいな表紙に親は褒めたけれど
自分の中では何の熱も生まれなくなって
やめてしまった。
そして女の子に関心が行くようになる。

僕より絵の上手い新田君に
「それ薄紙で写したやろ」
と言われたことがショックだった。
バレた、という思いとは別に
こいつも表紙をボロボロにして
何度も何度も線を引く
偏屈な執着に熱を持っていたな、と
言う事に気付き
恥ずかしくなった。

思えばあれが自分の中で
初めて意識した間違いだったかも知れない。
トレペなど使わずに
そのまま見て描くと言うのを頑に続けていたら・・・、
そんな事を最近よく考える。




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2007年8月28日 (火)

モヤモヤの多発、嫌悪

ここに来てというか
今更ながら
気になる事が多い。
なんでそうなんだろう、と考えだすと
時間の感覚がcubeの部屋のように
スパーンッとズレて行く感覚だけはある。

モヤモヤと事に限って
丑三つ時に立ち上がってくるので
気がつけば
工事現場の作業が始まっていたりして
ううぁー、もうこんな時間
て事になってしまっている。

昨日は沢山活字を読んだ。
何人かと話もした。
それでも新しい霧が立ちこめて来たから厄介だ。
まわりの具体的な事柄に比べ
頭の中はますます抽象的になってきていて
実はイヤになって来ている。

これも自分が男だからか、
女の人はこういうときに
サッと必要なものだけ掴みとって
サクサク行ってしまうのだろうか。
羨ましい。見習わなくては。

どうも今の自分には
witにとんだ色気が必要だなぁ、
などと考えた所で
今すぐどうこうという訳でもないけれど
考えてしまう。

全く抽象的でイヤだ。

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2007年8月27日 (月)

2つの強度

正直葛藤があった。
数日前木内君から連絡が会った時、
会うべきか、会わないベキか、
会いたいのか、会いたくないのか、
僕の中では重々しく葛藤が渦巻いた。
考えてみれば最後に会った日から
今まで身を引いていた。
彼へのイメージが良すぎて
対当に接する事に無理があったからだった。

それでも木内君からの頼みだったと言う
一点の理由から
遅れて会いに行った。
久しぶりの対面だけど
会えば口元がにやりとしてしまった。

そこでの話は
今も検討中の為
blogには書かないけれど
凄く真剣さの伴った具体的な話だったので
思わず唸ってしまう。
今までの僕自身とこれからを
如何に繋げていくものか、
理想としてのイメージと具体的な事象の
狭間として何をするべきか、したいのか、
などを考えつつも、
全く別の次元で大竹さんがイメージされた。
真剣さといい加減さは隣り合わせだ。

唸るというのは
僕自身の強度が震えていることだと思う。
耐えれるのか、壊れてしまうのか
その見極めが頭の中で起こっている。

勿論それ以外の話題もあり
友達の話や最近の話やらが
交わされていたし
以前から行きたかったお店にも
行くはめになったので
揺れ幅は大きくはあっても
しっかり感じるモノになったけれど
そのズドーン、ズドーンと揺れる振り子は
すこぶる重かった。

目黒川を木内君のピストに乗って
シューッと走り抜けて
ムニョーっと叫んで
帰路に着く。

2、3日時間をもらった。
今が僕にとって
真剣さといい加減さの強度を試す時である。

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2007年8月26日 (日)

キテンFREEJAZZ

どうして敢えて"みなとみらい"
という名前にしたのか考えながら
電車に乗る。

横浜美術館で行われている
"森村泰昌 「美の教室、清聴せよ」展"
を見る為であり
この日は
茂木さんの講演が
行われていたからだ。

ぎりぎりの時間に着き
参加者満員のため
レクチャーホールには入れず
外のロビーで
テレビモニターで聞く事になった。
なんだかねぇ。
どうせ後日、
茂木さんのblogにアップされるのは
分かっているけれど
耳だけで知るのと、眼と耳で知るのでは
全く入って来るモノが違うので
しぶしぶだけど拝聴する。

選ばれた事で更新し残るモノ。
一番美しいモノは人の心の中にある。
自分の心の中にある感情のバリエーション。
「制約」からの恵み。

最近の講演の中でもかなりキックが聞いている。
改めて関心しつつ
生でない事に後悔する。

拝聴後に展示をみる。
様々な所で森村さんの作品を見て
知っていたように思っていたけれど
実際は全然違った印象。
自分の勝手なイメージを
軽く超えられてしまった。
美術館に教室を持ち込んだ事も良いアイデア。
作品の完成度とは裏腹に
展示の微妙に雑な所が
不思議と親近感が持てる。

本当にあったかどうか分からないけれど
"まねぶ"と言う言葉はやはり気になる。

真似る事は学ぶ事に繋がる。
反面、学びのないモノマネでは
価値がない。

今までは有名な絵画に成り代わる事が
森村さんのゴールなのかと思っていた。
しかし見る時間が過ぎるごとに
間違っている事に気付く。
モデルの絵画をきっかけとし
そこからイマジネーションを引き起こす事が
作品に深い奥行きを与えるわけで、
実際の細かいディテールは
狂気じみている程繊細で驚いた。

美術館を後にすると
茂木さんが足早に消える姿を見かけた。
すぐ近くに以前一緒に働いていた
同僚と言うか上司のいる店があったので
フラっと立ち寄る。

小館さんは元気そうだし
松本さんも良い意味で変わっていない。
同じ年でも働く女性は躍動してますね。

少し話した後で外に出ると
そこはもうとっくに
暗がりに包まれていた。

自分の将来の色は分からない。
それでもかき分けて行けば
何色かにはなるのかも知れない。
今は暗がりでもいい。
そこから始めた時が
いつでも何度目でもキテンになると
今は思い希望する。

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2007年8月24日 (金)

薮から棒に舞い上がる

ふと机の上を見ると
そこにはPC購入時の
ローンの契約書が
何やら存在感を示していた。
「もう良いんだよ、支払い終わったし」
などと眺めていると
名前の横に居住年数5年とある。
ムムム、長いな。
二回更新をして
尚もこのちっちゃくてかわいい兎小屋に
5年も住んでいるのか。

兎小屋も5年も住めば
物が増え、生活臭もしみ込んでしまった。
暗い狭いなどと言ってみても
しっかり我が家として存在感がある。

ここで我思う。
これからもここにいるのか?
ここは家賃もワーキングプア層に有り難い設定で
ある程度何処に行くにも便利で
外に出れば商店街もある。

でも何だか縛られてやしないか?
何処に行くにしても
ここに帰ってくる事を前提に考えるし、
荷物の量も五年前のトランク一個分からは
考えられない程増えている。
こいつらをどうするべきか。

このままでは生活だけでは無く
住居にまで埋没してしまいそうだわ。
いい加減何かしら準備をしなければと思い、
取りあえず携帯を手に取り
薮から棒な電話に困惑する友達をよそに
思いの丈を放出してみた。

個人的にはややすっきりとし
相手としては
「そう言われても、どうして欲しいってこと?」
的なモヤモヤが残るやり取りが続く。
全く迷惑な話だ。

契約書がピラピラとなびく。
二人の会話はフワフワと舞い上がって見えなくなった。

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2007年8月23日 (木)

雑誌2.0

この間本屋さんで
"OK FRED"と"TOKION"を買った。
時折パラパラ読んでいたのだけれど
この2つのカルチャー誌?は
全然ベクトルが違いますね。

いくつかのページには
本物の匂いがあるのだけれど
"TOKION"てちょっと如何わしさが後を引く。
「ホントかよ〜?」て
思っちゃう記事が毎回ある。
勿論キチンと取材してると思うけど、
何だか良く分からない疑惑を持ってしまう。
「そんなにキラキラピカピカな隣人いるかな」的な。

打って変わって
"OK FRED"は何処を読んでも
たいてい面白い。
前回の特集なんてまさにズバリだったし、
今回も面白い。

ここで言う"面白い"は
brand-newな感じじゃないのだけれど
something-newがあるわけで
これだけ物や情報が多い中で
新しいモノじゃ無くて
新しい価値観を見せると言うのは
とても今の感覚に合っていると思う。

毎回「これがイイですよ」「これがcoolですよ」
と手を変え、品を変えられても
もう僕らは信用しないわけで
今回は市川海老蔵vs板尾創路の対決も
板尾さんに一票を挙げる。

雑誌、情報誌の役割も
ちょっとづつ変わって来てるわけで
今の流れから雑誌2.0としよう。

かと言いつつ雑誌はやはり読むのだけれど
そこはやっぱり
ネットやTVでは味わえない
独特の質感みたいなモノに
影響を受けて来た最後の方の世代として
これからも手に取ってしまうと思う。

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2007年8月22日 (水)

秘湯、ダラダラ温泉

以前聞いた
大竹さんの話の中で
「俺は温泉に対抗する為にアートをやってる」
と言う言葉が
勿論一つのメタファーではあっても
前後の文脈から
妙に納得したように
思っていたのだけれど
実際この意味を考えてみると
すごくキワドくて
暫くずっと頭の片隅に残っている。

"温泉"という言葉に
一般的には
癒しやら憩いやら解放的な意味合いを
思い浮かべるのだけれど
それに対抗するとは
どういった見解を与えるものなんだろう。

先日のblogにも書いたけれど
平泉では温泉にも行った。

そこにはやはり
自分たち以外にもお客さんはいるわけで
その人達も色々な所から来て
それぞれの思惑があって
温泉に使っているわけで
玉袋長過ぎのじいちゃんも
入れ墨の兄ちゃんも
温泉に入る事が仕事ではないはず。

一口に温泉と言っても
大きく分けると
温泉付きの旅館に行く場合と
温泉だけの場合があり
テレビとかで取り上げられるのは
大抵が温泉付きの旅館である事が多い。

多くの場合は
温泉メインの場所でも
その他のスペースで過ごす時間が
圧倒的に長く
前途のどちらの場合でも
湯船に浸かっている時間より
ご飯を食べたり寝てみたりお酒を飲む時間に
時間は使われる。
しかし人が話す時は
温泉に行った事がメインになる。

実際に温泉地で行われている事は
旅館であれば話に花を咲かせ、
大衆的な所であれば
テレビの前で寝転がっているだけである。

つまりは何にも生産的な事はやっていない。
ダラダラしに行っている。

これが一般的な日本人に
良いイメージとして捉えられ
繰り返し行うべきことなら
これにどういった方法で対抗するのかは
俄然難しい課題になって来る。

ダラダラしたい願望に
どういったモノを対抗手段で持ち出すか。

旅館を満喫のような
ある種スタイリッシュな感覚を
求める人には
新しいスタイリッシュを提示すれば
いいのだろうけれど
それ以外のダラダラな感性に
何をぶつけるか、が
より刺激的な事に思える。

だってそんな感覚に
普通はどうこうしようなんて
思わないでしょ。

そんなポイントに気付く大竹さんって
やっぱり・・・。

何を持って面白いとするかの基準が
温泉って言うのは
僕ら日本人にとって
非常に単純で分かりやすい。

マニュアル好みの僕にとっては
良い基準になってます。

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平泉、四日目 最終日

結局のところ
平泉で迎えた朝は
全て早かった。
これは個人的には脅威であり
このダイナミクスが
どのように生まれたかは
よくわからない。
しかし、何かと寝坊する自分としては
何とか獲得したいモノだったりする。

予定としては昼ぐらいに
ゆっくり電車に揺られるつもり
だったけれど
旅は道ずれ合い方のSさんが
早くに出る都合があった為
時間差で見送られるのも
気が引けるので早めた。

別れ際は大切なので
不器用ながら
感謝の気持ちを
上野家の方々に伝える。
たった四日間だけれど
別れの瞬間はやはり苦手だ。

一緒に写真も撮らせてもらい
心残り無しと思っていた所
お父さんに
住所が書かれたメモを頂く。
「普段はこんなことはしないのだけれど、
 まぁ、年賀状でも送ってください」
感無量だった。

何者でも無い自分が
何が出来たかは分からない。
それでも何かしら
ここに残せたように思えた。
自分が前を向いて望んでいれば
ある種の偶然は必然になり得る。
そう思えるなら
前を向くしかないでしょ。

駅についてからは
時間が気になり話す言葉が浮かばない。
帰る、別れる、離れる
どれも心苦しさが感じる。
別れ際カイと少し話したけれど
たぶんお互い深い所に行けたように思う。
さようなら、平泉。
また来ます。

帰りの途中で仙台による。
ご当地の食材でも食べれれば良いかと
思っていたのだけれど
せっかくだから歩きたくなった。
何を思ったのか
いわゆる観光地一周のバスのチケットを
買ったのだけれど
2つ目のバス停で
一人降りてしまった。

仙台のデカイアーケードを
ふらふら歩いていたら
何となく目当ての場所に行き着く。
日本で一番マルタンを売っていた店。
学生の頃から
何度となく聞いていた店だったので
取りあえず立ち寄り
店員さんと喋る。
外に出て道行く人を観察する。

どうやら本当に
グローバルと言う道具は
都市と地方の格差を無くしてしまったよう。
東京のそれと変わらない
風景、人が普通にある。
ちょっと残念に思いながら
マグロカツ丼を頂いて電車に乗り込む。

後はひたすら電車に揺られるのみ。
結局夜の11時には家に帰って来た。
飛行機や新幹線のように
ひとたび乗り込むと
数時間で目的に着いてしまう感覚が嫌いで
電車に乗るようになったけれど
一日を移動に使ったところで
やはり感覚的には一瞬に感じてしまう。

一人家で佇んでしまう時間は
やはり心苦しく
思わず土産物を配りに出かけるのだけれど
結局四日前の感覚に
一気に戻ってしまった。

しかし数日であれ
旅をするのは楽しい。
体や頭に優しく作用する。
そこに出会いがあれば尚更である。
18切符はあと一日分残っている。
さぁ、これを何に使うか考えるのが
今の楽しみである。

なにはともあれ
平泉からは帰って来たけれど
五日目を始めようと思った。

とりあえず、クリア。

S

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2007年8月21日 (火)

平泉、三日目

三日目も朝が早い。
5時半には起床。
この日はカイとSさんと一緒に
毛越寺へ座禅をしに行く。

6時半に毛越寺内のユースホステルに到着すると
わらわらと30人程の観光客が
座禅体験に参加した。

最初は正直軽く見ていて
終わった後は何か軽快な感じを
体験出来るかなと思っていたけれど
実際は足を組む事も
背筋を伸ばす事も
手の印を保つ事も侭ならない。
邪念を捨てると言うけれど
こちとら足の痺れや
背中の苦痛でそれどころじゃない。
あの座禅をする時の
棒にもしばかれたが
何とかやりきった。
いや、すいません。
僕が甘く見てました。

その後、今回担当された
お坊さんと話していたら
この毛越寺は2000年に入ってから
改築されたらしいのだけれど
その時担当されたのが
プロフェッショナルにも登場した
宮大工・菊池恭二さんだと言う。
菊池さんの息子さんとこのお坊さんは
高校の同級生だと伺った。
急にググッと親近感が湧いて来た。

その後は上野家に戻り
午後から上野家お気に入りの温泉まで行く。
そこは冬場はスキー場になるという
山の頂き近くにある
絶景のスポットだった。
上野家のお父さんと二人で入ったのだけれど
最初こそ気まずかったが
思い切って話しかけてみた。

一人娘がパリで生活している事への思い、
社会に立ち向かう為の人生観、
何の為に収入をえるのか、
他人との付き合い方、

今後子供に望む事、
親と子の関係、
聞きたい事は
あらかじめ多くあったのだけれど
思いのほか深く話を伺う事が出来た。
「本人がここにいたらこうは話せないけれどね」
というお父さんに対し
僕も自分の父親と
こんな風に喋った事がないと共感した。

なんだかんだで
結局2時間ぐらい裸で話してしまい
お互い良い色になってしまった。
外に出ると女性陣は
とっくに出ていて
ラウンジで気持ち良さそうに寝ていた。
でも俺の方も気持ち良かったんだゼィ。

その後家に戻り
お母さんお手製のイカの煮物やら
仙台で買って来た伊達の牛タンなどを食べる。
その日も飲んだビールで
一気に眠気の世界に埋没。

カイは僕とお父さんが
風呂場で何を話していたのか
気になっていたのだけれど
そこは男と男のお話なので
全ては話せない。
しかしイイお父さんですよ。
多分お父さんにとっても
僕にとっても
自身の親や子供と話すシュミレーションになった。
凄く貴重な時間でした。

この日も様々に発見と対話のある
有意義な一日でした。



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2007年8月20日 (月)

日々発見する

何とか時間を作ったつもりが
前日に五月chang宅で
"20世紀少年"の読破を試みて
案の定、寝坊した上で
世田谷美術館へ行く。

19日が最終日の
"青山二郎の眼"をやっと見る。

普段から全く骨董と言うものに
馴染みは無いのだけれど
青山二郎という人がどういう思いで
目利きを行って来たのか発見する機会。

そこには
物本来の性質上、
道具とされるものが置かれていたのだけれど
そこにどういう美意識を
骨董愛好家の人が乗せてくるのか
以前から気になっていた。

一見すると
ただ器や壷、置物などがあるだけで
その作られた時代を想像するものの
それ以上の何かが
なかなか立ち上がってこなかった。
こまったなぁ、と思っているうちに
一つの小皿の前で立ち止まる。
詳しい成り立ちは事は分からないけれど
その皿に盛られた煮物を想像した。
旨そうに思えた。
次に別の皿にお惣菜を頭の中で
盛ってみた。
旨そうに思えた。

その盛られた器を前に
食べたい気持ちと見ていたい気持ちが
同時に立ち上がる。
実に旨そうでいて絵にもなる。
その葛藤の末に
それを食べてしまう。
その食材の旨さとは別に
後ろめたさを吹っ切った快感が
立ち上がって来る。

旨そうに思えない物も
何を盛ればいいか分からない物もある。
だけれど何かを盛ってみる事、
つまり使う事を想像すると
自然と気分が良くなって来た。
僕は日本酒を飲まない。
だけれどその徳利に酒を入れて
ぐい飲みにトクットクットクと注ぐ様を
想像すると何だかいい気分になる。

ああ、良いですね。

物・プロダクトというモノには
道具としての用途プラス
特別な価値を使う側が持ち合わせないと
残忍な人間は簡単に潰してしまう。
色気の有無により
同じ用途の道具も
上等にもくずにも扱われてしまう。
その色気を醸し出すため
作家は奮闘するのだけれど
そのモノに対する価値観は
受け手の数だけ違うもので
そこに如何に普遍性を持たせるかが難しい。

散々想像して
時間になったので外にでると
不思議とお腹も頭も満たされていた。

勿論今回だけで
骨董の良さが分かったわけではないし、
青山二郎の審美眼が理解出来たわけではない。
それでも自分なりの楽しみが
一つ発見出来たので
今日はそれだけ価値があったに違いない。

外は蝉の鳴き声がキリキリと響く。
短い命を必死にならしていた。
それに比べ僕は
なんて余裕のある生き物だろう。

この蝉の声を忘れずに
僕は日々を発見する。

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平泉、二日目

二日目は全くの晴天。
前日早い時間に寝たせいか
5時に起床。
上野家周辺を散歩する。

朝食後に
カイに平泉を案内してもらう。

こちらに来る前に
平泉について何も調べず
何も知らずに来たのだけれど
来年には世界遺産になるかならないか
と言う程に歴史が刻まれている町。
奥州藤原氏の宗教文化都市であり
義経が最後にたどり着いた都市であり
マルコポーロが黄金の国と言った都市である。

絢爛豪華な中尊寺、
雅な貴族文化に思いを馳せる毛越寺、
伝説を体現する達谷窟毘沙門堂などなど
平安、鎌倉文化の香りを
そのまま留めた歴史の町。

いわゆる日本史を眺めた時に
僕は京都や奈良などの空気を
思い出すのだけれど
こちらの空気は
それらと趣が少々違う。
それが何かと考えて行き着いた事は
皇族、貴族、武士と
その都市をまとめる人間が
移り変わった京都、奈良に比べ
こちらは最初からその終わりまで
貴族によって統治された点に独自性がある。
つまりは貴族が作ったcultureで
日本史の文脈から止まって残っている。

どこか雅で血の匂いがしない
空気と言うのが
平泉には残っているのは
そういう経緯があると思う。

人間は生きていく間に
それぞれの文脈を作り
編集していく生き物だけれど
最近考えていた
文脈をぶっ飛ばすという事に対する
一つの結果を
ひょんな所で見つけたように思う。
そういう事があり得ると言う事が
最大の報酬であった。

北陸と言っても
夏は夏らしく暑い。
この地に雪が降り積もるなど
想像出来ない程だった。
しかし、そこで暑さからくる
息苦しさのようなモノは感じなかった。
これも東京という文脈から
自分自身が離れたせいかも知れない。

夜は上野家にて
カイの子供時代の話などを聞かせてもらう。
彼女がいなければ
僕の20代前半は大きく変わっていたと思う程
影響を受けているので
その人物のルーツをたどるのは
些細なことでも面白い。
誰にでもあるルーツ。
社会的には関心をもたれないかも知れないけれど
僕には重要なルーツ。

やはりルーツは大切にした方がいい。
自分が何処から来て何処へ行くのか知る為に。

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2007年8月18日 (土)

平泉、一日目

実家の高松に帰るには
真っすぐ帰っても
18時間はかかるのだけれど
岩手の平泉は
寄り道をしても
時間程で行く事が出来る。
鈍行で。

旅の途中で
福島県の神俣と言う所で

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"あぶくま洞"と言う鍾乳洞に行く。
平均室温14℃の涼やかな空間は
まるでエイリアンの星のような
神秘的でグロテスクな世界。
同行したSさんと共に
わらわらと楽しめた。

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その中で短いモノを見つけたSさん
「あの短いやつは立派とは言えないけれど
 20センチあるとして
 1センチ育つのに
 70年から100年かかるから
 あれが人間の西暦と同じ長さなんだよね」
などと時折鋭い事を言う。

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確かに僕らは長い地球の営みと比較すると
ゾウリムシやアメーバのようなもの。
勘違いしてはいけない。

その後は
途中途中でお土産を買い、
平泉へ向かう。

今回は長年の友達カイのrootsを巡るのが
メインの目的なのだ。
平泉では
社会科が専門の元校長先生のお父さんと
国語が専門のお母さんを
紹介してもらい、
早速お父さんの自慢の家を案内してもらう。

現在パリ在住のカイとの
3人の住まいは
敷地が100坪庭が100坪の
大変大きな家だった。
その隅々まで
主であるお父さんの美意識が施されていた。

初日は午前中の疲れも有り
11時頃には寝てしまう。
もう忘れてしまったが
その日の夢は
結構良い夢を見たような気がする。

これが一日目。

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2007年8月14日 (火)

カイへと続く道

明日から来週明けまで
東北をまわって来ます。
その間blogのupは出来ません。

あ〜夏旅、お〜夏旅。

この道は何処へ続くのか。
それは
カイへと続く奥の細道。

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2007年8月13日 (月)

知ってる風景

田舎で育ったせいか
昔は自然が当たり前すぎて
その恩恵を感じずに育った。
時折実家に訪れる
従兄弟達が勇んで
カブトムシやクワガタを掴まえに出かけ
河川で水浴びをして
田んぼを走り回る光景を
不思議に思ってきた。

10代後半は
いよいよ虚無感さえ感じだし
高校をでると同時に
実家をでた。
多分この感覚も時代っぽいと思う。
今18なら別の事をする。

しかし、今何をしたいか考えると
大竹さんのビデオを見た影響もあるけれど
人工的な匂いのない
田舎というか辺境地に
頭の中が飛んで行く。
それは
癒されたい、
のんびりしたい、
とか言う考えではなく
今までに見て知っているけれど
見落としたモノを発掘するような感じ。

以前バイト先の人が
滝の話をしてくれた。
滝と言うのは取りあえず
都会ではなく辺境の地にあるわけで、
普段の付き合いからは
どっぷり現代っぽい人だと
思っていたのだけれど
そういう所に
わざわざ行って来たというのが
まず驚いた。
そして話をしているあいだ
多分頭の中でその時の感じを
思い出していたのだろう、
今までと違うちょっとキラッとした目で
話してくれた。

それは時間を作って
探して
見て
水しぶきを浴びて
水に手をつけて
体験した人にしか持てない
独特なニュアンスだと思う。

羨ましいと思った。

多分ねぇ、
そういう所で人間は
魂とか自分を振り返れるのだと思う。
以前に田植えに行ったとき
確かに初めていった場所だったけれど
自分の中の源風景を見たように思えたから。

夏は人間が影響を与えているとはいえ
自然の力を
暑さや雨や台風で
如実に感じてしまう。
そういう時期は
エアコン効かせて対抗しようにも
他人に迷惑かけるだけで
良い事はたいして無い。
こういう時は
自然の夏に飛び込んでみるのも
良いかも知れない。
どうせ暑いんだから。


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2007年8月12日 (日)

潰れるのか?

道ばたに座って休んでいると
そばにゴキブリが歩いていた。
不意に見つけると驚くけれど
自分から見つけに行ったようなものだから
驚くわけでもなく
場所を変えるわけでもない。

多分あんな感じでいれたら
隣の人とも上手く行くかも知れない。
その感じを生む為に
かなりの個人的事情を捨てるか忘れて
無我っぽい感じにならないと
隣の人に入り込んでもらう隙間が生まれない。

しかーし、
今は予定が立て込んできました。
まぁ自分のせいだけれど
ちょっと面倒な部類のモノが
今は溜まってきていて
ちょっと気がそっちに持って行かれてしまう。
2ヶ月越しの予定もあり
下手したら潰れるかもな?

だからと言って
なんとなーくなるわけでも無く
淡々とやっていくしか無いわけで
今日もなんとか頑張ります。

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2007年8月11日 (土)

ラジオのおばちゃん、スクワットのおっちゃん

タラタラ、汗がツーッと落ちた。

暑い暑いと思いつつ
ふと前を見上げると
仁王の間から
目黒不動の階段が見えた。

参宮が見えるか見えないかの
ぎりぎりな感じで
階段の左側に生える木が
くの字型に張り出している。
よく見ると
右側の木は対応するかのように
凹んでいる。
おかげで参宮の姿は
断片的にしか見る事が出来ない。

Photo_4


目黒不動の朝


そこには明らかな作為があるのだけれど
見えてるようで見えない感じが
その時の自分には良くて
暫くボーットした。

まわりにはラジオを抱えたおばちゃんや
スクワットの3分の1程
膝を曲げては伸ばすおっちゃんが
なんやかんやと朝から集まってきていた。
その日は特別な朝ではなかった。
毎日おっちゃんやおばちゃん達は
ここに集まって来ているのだ。

あおそらくドーンと存在感を放つ
森ビルや美術館やヒルズには
広場が会ったとしても
こんな風に
おっちゃんおばちゃんは集まらないだろう。
そこには何かがあるのは分かるけれど
よくわからない、よく見えないから
自分を投げ込める隙間を
神社は用意してるのですな。

見えてるようで見えない
隠しているようで隠しているモノを感じさせる
そんな感じが人を引きつけるのでしょうかね。
確かに繊細な感性が有りにけり。

でかい商業施設にも
ひとは集まるけれど
そこに行く人らは
誰かに行くように計られているでしょ。
こっちの人らは
誰にも行ってこい、なんて言われてないからね。
朝から暑いのに勝手に集まってる。

そんな人らのよりどころに
もっと隙間のあるモノを
新しいモノとして作らないと
自分がそういう歳になった時に
行く所がなくなってしまう。

ラジオから朝のニュースが流れている。

えーい、仕方が無い。
そろそろ用意しますか。

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2007年8月 9日 (木)

PURUPURU 2

丸一日腕がpurupuruしてます。
お肉のせいででは無く
筋肉のせいだと言っておきたい。

ちょっとのことで
腕のpurupuru感を感じてしまうと
スポーツ選手がジムトレをしている映像も
違った印象で見てしまう。
皆、潜在的にはMッ気バキバキなのかしら。

この間もネットでQちゃんの
走りを見て尊敬してしまった。
QちゃんがQちゃんたる所以は
やはりあるんですね。

今まであまりスポーツに関心は無く
どちらかというと
ゲームを楽しむ感覚だったのですが
いろんな箇所のpurupuruを感じる事を
仕事にしている人は
やはり相当のMッ気を感じます。
僕もMですが。

だからってQちゃんはないだろう。
身体的にも攻められて
言葉でも攻められて
それで笑顔なんて
どんだけMなんですか?

いや、そんな事はどうでもいい。
早くこの痛みを和らげる為に
鈴木君にプロテインでも貰おうかな。
現在考え中。
おそらく今週いっぱいは
全身のpurupuruを堪能します。


選手とコーチの関係って師弟関係+αがある気配がしませんか?

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2007年8月 8日 (水)

PURUPURU

受け取る内容としては
偏ったモノの方が
面白おかしく楽しめるのだけれど
最近は
自分自身が偏った人間に
近づきつつあるのか
バランスを気にするように
なってきました。

野球でいうなら
バコーンとかっ飛ばすホームランよりも
いつの間にかサイクルヒットみたいな。

三日坊主は意味が無いと
朝走るようにしてから
下半身の筋肉痛にも
ややなれて来ると
それはそれで心地よいというか
自己満足にいたるのですが
上半身が
あまり頑張ってくれてないなぁ、と
うすうす気付いてしまい
どうしたものか考え中。

僕は運動やスポーツに
お金を使う事に嫌悪があるので
バーベルやそれ系の道具を
買う頭は無く
(ビリーズはやるかも知れない、誰かのcopyで)
その辺のモノで
どうにか負荷を
上半身に与えたいのだけれど
如何せん知識が無い。

腕立て伏せは苦手なんです。
何か本気っぽい。
ここではあくまで
適度に軽快な感じが必要なんです。

とりあえず目黒不動の
裏の公園の鉄棒で
斜め懸垂をやってみた。

あぁ、本気で筋肉ないなぁ。
数回で上腕二頭筋からprupuruと悲鳴が。
あかんですよ。
腕は僕の大事な道具です。
今まで手入れを怠ってました。

どうやらですね、
下半身よりも上半身を鍛える方が
僕には必要らしいです。
このままでは誰かを
抱え上げることも出来ません。
それは何よりもいかん。



実は過酷でも見た目は軽快な上半身の鍛えかたないですか?

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2007年8月 7日 (火)

勘違いから後悔します

眠い、眠いと思いながら
外に出る。
最近のちょっと悩みが
寝たい時に眠れない事。
暑さのせいや生活サイクルに
原因があるのは明らかなのだけれど
なんとか改善しないと
体が持たない。

寝不足も含めて
最近は些細な後悔をいくつかしていて
些細だからなんとか出来ると思っていて
その為に
もうちょっと神経を尖らせて
自分の事やまわりの事に
注意を払うようにしてみる。

そうしていくと
いくつか発見があった。
僕は考えて話す時と
思いついた事を即時的に喋ることが
あるのだけれど
思いついた事を
言いたい衝動に耐えて
我慢すると
その半分位の事が
その状況に対して勘違いしている事に
気付く。

喋ってしまうと
喋っただけのつもりが
実は喋っている事を
自分自身も聞いていて
その事を元に
次の思考が立ち上がる。
そして行動に移るのだけれど
勘違いしていても
喋ってしまうと
それが正しいと自分で受け止めてしまう。

僕の場合は
そういう事から
場違いな間違いを犯して
後悔してきた。

自分を抑えると
まわりを気にしだす。
そうすると
他の誰が
今、何をしたがっているか分かる。
話したい人や動きたい人を
見付けてあげて
自分がするよりその人に
喋らせたり動いてもらった方が
大まかな括りの中で
潤滑な空気が生まれやすくなる。

そういう風になれば
自分の衝動を押さえていても
案外気持ちが良いもので
後悔が少ない。

あぁ、僕は異分子で不協和音だったのかしら。
俺が居ない方が上手く進むじゃないか、と
やや自虐的なってみても
いくつかのパートの中では
案外気分を傷つけないので
これも毎日のルーティンの
一つの抜け道になりますね。


自分を主張するのも押さえるのも同じ事でしょう?

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2007年8月 6日 (月)

路地裏の夢遊

考えてみると
一日の中で
仕事の間に休む時間が
一番脱力した時間。

人によっては
仕事の間と言うのは
次の仕事の為に
準備をする時間として
使うかも知れないけれど、
僕の場合は
完全に仕事がらみの事を
忘れている。

その間は別の時間の事を考えていたり、
逆に全く何も考えない放心状態だったりする。

その時間は
考えようによっては
休息の時間、切り替えの時間、準備の時間
であったり
無駄な時間、蛇足の時間
であったりするのだけれど
これが他の人もそうだと思うのだけれど
僕にはムチャクチャ大事な時間に
変わりはない。

以前は
その時間に人に会いたくなくて
本屋さんに逃げていたのだけれど
最近は
薄暗い路地裏で
座り込んでいる事が多い。

これには理由が色々あって
その一つに余計な情報を
頭に入れたくないという事や
普段は目に留めない
溢れる場所の発見だったりする。

その場に座り込んでいると
誰もいないし
何もおこらないのだけれど
なぜか集中力が高くなっていく感じがする。
それが心地よいのです。

そういう時に
あぁ、自分も路地裏の人間かと
何人かの先人達と自分を重ねて
酔ってしまう
魔法のような時間を
僕は持ってしまいました。

そういう、ある意味
自己陶酔系の気色の悪い質を
自分が持っている事を
僕はポジティブに捉える。
そういうスイッチを持つ事は
何かの惰性に流される場面で
切り替えがきかせる事が出来るからだ。

だから僕が路地裏で
座り込んで居るときは
邪魔をしないでほしい。
その時間のおかげで
今までより、
より良い僕を
貴方に見せる事ができるわけです。

あと路地裏で
道ばたに座り込んでいる人を見付けたら
怖がらないで下さい。
立っていたら
よからぬ考えを
持っているかも知れないけれど、
座っている人は
自分の世界に入っているので
貴方のことは見えていません。


路地裏に座り込むのは行儀が悪いだけだと一括して思っていませんか?

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2007年8月 5日 (日)

我を顧みない事

やっとのこと
弟にもらったNIKEのシューズを使ってみる。
数日前から
暑さのせいか眠れない日々が続き、
寝付けないわ、暑いわで
対策として
もう少し疲れた状態で
寝ることを考えていた。

なぜだか分からないが、
今日こそ走るか、と思い。
仕事の後モロモロを済ませ
外にでる。

意外と快調

結構走れるかも

抜いてしまえ

おっ汗が出てきた


暑い

ん、腰が痛い

膝も痛い

だるい

しんどい、しんどい

ぜーはー、ぜーはー

原チャがムカつく

あ、抜かれた。


結局のところ
至る所で歩いてしまう。
30分程走っていたけれど
次の電柱までがなかなかつらい。
あぁ、本当に体力落ちてんな。

家に戻って風呂に入っても
体の毛穴が広がりきって
汗が流れ落ち
息も上がったままで
落ち着かず。

ふと夏が苦手な理由がわかった。
人間の臭い、汗の臭い。
自分の臭いもヒドいモノだが、
人の臭いは不快というよりも
嗅いだ瞬間
その人の極めてプライベートな部分を
覗いてしまったような罪悪感があり
顔を背けてしまう。
夏はその状況が露呈する季節だからか。
自分も含め
みんな隠してるようで隠れてないから
恥ずかしさがダイレクト。

だからこそ
汗をかくのが目的で
一切を隠さず
タラタラ汗をかいて
走ったり、もしくは働くのは
キツいなりに何処か気持ちよいのだろう。
我を顧みない事への躍動。
今の段階ではまだまだ推測であり
経験値にはなってませんが。

これは誰もが行えるTRIPです。
はまる人ははまるかもなぁ。

とりあえず今は足が痛い。

これが習慣化するかは
まだ決めておりません。

今までの三日坊主はなんですか?

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2007年8月 4日 (土)

報酬の経過

その気になる、やる気になる為には
自発的な動機に対する
理由付けが必要だけれど、
不意に外から機会を得られれば
幸運かもしれない。

名を広げた学校の先生方の
大きな魅力は
それぞれの生徒に
その生徒独自の動機付けが
先生のよって生まれた点だと思う。
決して革新的な勉強法や
何かしらの抜け道を
伝授してきたのでは無い。

生徒本人の自主性に対し
自身が納得した理由を
得られたのだと思う。

僕らは
モノの道理がどうであれ
今までの経験から
その事に納得出来なければ
他の人には容易いことでも
自身が行うには難しい事が
多くある。

特にそれが
仕事の上では
そのような事例が
多くあるように思う。
より規模の大きい職場では
より複雑に発生する。

そこで
相手を納得させる事が
自分にとっても
相手にとっても
必要な行為になる。
理解や合意ではまだ甘い気がする。
どんな小さなことであれ
その事に前のめりになるには
その事に対する
余分な空白は
出来る限り小さく残すべきではないか。

その行為を目に見える形にしたのが
給与、対価、報酬
とされるモノのように思えた。

目に見えると言うのは
何よりも刺激がある。
そして言葉にしやすい。
だから相手にも伝えやすい。
嗅覚や味覚で感じたモノよりも
よっぽど雄弁に語る事が出来る。

さて
報酬を得た後は
どういう動きをするべきか。
実はそれが一番面倒な
問題かも知れないけれど
その後の経過はゆっくり観察してみるつもりだ。


今までの一番の報酬は何ですか?

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2007年8月 3日 (金)

夏の感覚

いつの間にか
夏休みが始まっていたことに
ちょっと驚く。
とは言っても
自分的にではなく
世の中的にであって
僕は夏休みをとれる状況ではない。
ワーキングプア真っ盛り。

ただもう夏のにおいが
昔のそれとは違って
なかなか感じにくくなってしまった。

何度も言うように
夏は暑くて苦手なのだけれど
夏の夜のにおいと言うのは
昔からなぜか興奮したもので
妙なジリジリ感と
ヌメッとした空気感に
突き動かされる事もある。

犯罪の話ではないです。

ここでは虫の声も
攻撃的な日差しも
日陰の不意な冷ややかな感触も
感じられなくなってしまい
いつしか夏が
感覚的に感じられなくなってしまった。

ただただスケジュールに
入ってしまっているだけ。

四季を感じるのが
日本の繊細さなら
その感性は
どんどん鈍感に鈍くなっている気がする。

これもグローバルな流れなら
個人として
少し距離をおいて
離れてしまいたい。


今年の花火は何処から誰と見ますか?

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2007年8月 2日 (木)

力強い個性=子供たち

たまたま休みだった五月changが
熊本土産の熊本ラーメンと一緒に
リトルブリテンのTシャツを持ってきてくれた。
気に入ったので早速着る事にした。

神保町に出向き
五月changが会社からパクってきた雑誌を
何処の古本屋なら高く買ってくれるか
推理しながら飛び込む。

その泡銭で昼ご飯を食べて
新宿へ行く。

1日だったので
1000円で映画が見れる素晴らしい日。
"それでも生きる子供たちへ"を選んだ。

元々は"underground"を撮った
エミール・クストリッツァに興味が持っていて
そこから何となく知っていた映画。

前日の徹夜が祟って
かなりの睡魔に一日中襲われていたので
最初の短編は
ところどころで寝てしまい
ハッキリとは覚えていません。
しかし
2つ目にエミールの短編が始まってから
一気に目が覚める。
その後は一話ごとに
感嘆をこぼす程
のめり込んで見てしまった。

あのねぇ。
この映画の企画は本当にイイ。
僕が知らない
世界の子供達に焦点を当てながら、
道徳観から似通った印象に
陥りやすいテーマの中で
それぞれの監督の持ち味が
キッチリ出ている。
その多様さがひとつの点に対して
異なる見方を示してくれている。

監督と言う仕事をする人間に
心から尊敬の念を持ってしまった。
本物の才能と言うモノを
目で見て取れてしまう映画だと思う。

日本人が同じテーマで映画を撮るなら
どういうモノを持って来るだろうか考える。
誰がこの企画に参加している監督と
同質のモノを提示出来るのか考える。

思い浮かべない。

それほど独創性とリアリティの狭間に
立っているのが
この映画であり、
参加した監督達なんだと思う。

「世界の恵まれない子供達の話」
と一括りにしたところで
その現状は
子供達一人一人違うと言う事。
そして彼らは
決して自分が
恵まれない子供だとは思っていない。
自分の現実が全てだという事に
気付かされた。

彼らには選択肢は無かった。
ほんの少しの良い事も
それ以外の悪い事も
全て大人達に
与えられてしまったモノ。
その現実の中で
必死に生きるしか無い
彼らの現状に
日本で育った人間として
多くを考えずにはいられない。

特にジョン・ウー監督の作品には
ベタな展開ながらも
近い将来日本にも訪れそうな世界に
不安感を持ってしまう。
決して他人事ではない。

それにしても
このオムニバスに登場する子供達は
なんて個性的なんだろう。
僕から見れば
悲惨極まりない世界で
みずみずしく、力強く生きている。
まさに大人でも挫けてしまう世界で
子供達は一つ一つの小さな幸せを
噛み締めるように進んで行く。
劇中のFavelaで生きる子供達の
あまりの強さに
心が濡れてしまった。

力強さとは
強靭な精神力だけでは無く
笑いや
純粋さや
ある種の無自覚さも
含まれて成り立つのだろう。

精神論ばかりの大人が
実際には
簡単に挫折してしまう理由が
不意にこの映画で分かった。

前提としての
"世界の子供達を知る"と言う
意義以外にも
「なぜ自分はだめなんだろう」と
考えてしまう
僕のような部類の人は
この映画を早く見た方がいい。
その理由の一つがこの映画の中にあると思う。


どの子供達が印象的に残りますか?



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