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2007年7月

2007年7月31日 (火)

二つのフェロモン

以前、養老猛司さんの本で
人間には好意と真逆のフェロモンがあると知った。
誰かを引きつけるフェロモンとは別に
他人を遠ざけるフェロモンも
人間は無自覚に出すらしい。
電車やエレベーターの中で
人間が臭うというのは
体臭と同様なモノが分泌しているらしい。

だからか僕もそういった場所をさける。
他人のフェロモンも自分のフェロモンも
出来るだけ感じない、感じさせないよう
気を配る。
少なくとも自分の環境を
快適に過ごす知恵のようなモノ。

ときどきそのバランスが崩壊することもある。

最近読んだ"プロフェッショナル仕事の流儀 7"で
奥山清行さんと徳岡邦夫さんは
一見真逆な環境の中で
仕事をされていた事が印象的だった。
一方で衝突を繰り返し
その中から新しいモノをつくる現場。
他方で上下関係の厳しさがない楽しさの中で
伝統を守り、解体する現場。
その二つの共通項を考えると
少なくともその理由の一つに
真剣さ、真面目さの姿勢に繋がる事は
そんなに難しく考えなくても分かる。

しかし、それを知ってはいても
実生活において実行する事には
ある程度の修練が必要なようだ。

楽だけなら何時でも誰でも出来る。
キャッキャしてノリでこなすことは簡単だ。
ただその結果の完成度は非常に低いし
その過程から得られるものは
せいぜい、
「誰々はノリがイイよねぇ」
「こうすれば暇潰しが出来るなぁ」
ぐらいだろう。つまらない。
そういう現場からはサクサク逃げ出してしまいたい。

人間に2種類のフェロモンがあるのなら
人をお互いに引きつけるフェロモンが
漂う現場を見つけたいし作りたい。
嗜好や興味や関心ごとが違っても
そこに真面目な真剣さがあれば、
自分にとっても他人にとっても
快適な環境は作れると希望します。


どうしてレンタルと販売の違いであそこまで質が違うのでしょうか?

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2007年7月30日 (月)

心に爆弾を

戦争に行きたくないし
どんな形であれ参加したくないので
参議院選の選挙に行く。
その時点で
天気はすこぶる良かった。暑かった。

その後銀座へ。
珍しく約束の時間より早く着いたので
三越の屋上に出てみる。
何にも無い。
年配の方がベンチで休んでいるだけ。
いつの間にか
雷と共に雨が降っていた。
凄く寂しい場所。
昔は百貨店の屋上と言えば
遊具があって動物がいて
子供が最も行きたがる場所だったのに
今は面影無し。
いつからあのように様変わりしたのだろう。

その後
紀さんと紀さんの友達のまりさんと合流。
後ろめたさを感じながらビニ傘を買う。

まずsomartaを見にRESTIRへ行く。
見たいブランドの服をチェックして
あーだこーだ喋る。
ここの店員さんはちょっと凄い。
何処から来て何処へ行くのか分からないけれど
頭の先から足の先までキッチリ決まっている。
一人で来なくて良かった。
多分あの空間の中で
無印のTシャツを着て
ウロウロしているのは自分くらいだろう。

その後BARBEYS N.Y 銀座に行く。
こちらは大衆的で入りやすかった。
こちらでもミーハー的に物色。
結局は何も買わずにネタにして喋るだけ。

そのあと喫茶店に入って
まりさんの話を聞く。
タイに行って織物の勉強をしたり
カンボジアで研修したりと
その時々の衝動を重んじる人のようだ。

でも話がなかなか噛み合ない。
あちらが才人でこちらが凡人なのか
よくよく意図が掴みきれない感じ。
それでもある意味、いい加減にミーハー的に
喋るのは楽だ。
多分自分の立場や経験を棚上げして
嗜好を中心に喋るからだろう。

その後まりさんと分かれて
紀さんと表参道に出てご飯を食べる。
簡単に今日の反省会をする。

もしかしたらそれぞれが
それぞれの学生時代を思い出して
それを再び味わおうとした一日だったのかも知れない。
ちょっとしたノスタルジーと
明日への気力を掴もうとしてたのかも。
たまにはそういうスパイスがあっても良いかもしれない。

しかし、今日そこから何か掴めたのか分からない。
奇妙な発散があったけれど
何か掴む事は出来たのかは不明。
おそらくここからは何も生まれない。
もっと表層的な事ではなく
本質的な事を出していく機会の方が
個人的にはキツくても自分の利になるように思う。
次回があるなら爆弾抱えて
切り込むことにしよう。
そうじゃないとなかなかキックが生まれなくて
話が中に浮いたまま漂流してしまう。
いつも心に爆弾を。
そういう事に気づいた一日でした。

昨日は友達とどんな話をしましたか?

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2007年7月29日 (日)

フルーツの王様

基本的にはお調子モンですが、
それなりに真面目でもある訳です。

ついに発売解禁になった
"ドリアンガールズ"

Dorian_main_2  

しばらくの間
その微妙な放送時間を
予約録画して見てたのですが、
やっと立て続けに見る事が出来ます。

たまに微妙に時間がずれて
放送がそのまんま録画枠から外れてたり
オチが録画出来なかったりして
一日の終わりに悔しい思いをしました。

町田さんも勿論、良いのですが
西から来た人間としては
松永さんのキャラが非常にオモロい。
DVD告知の連続前フリも良いです。

Little Britainなどのコメディに通じてます。
最近のコメディの中では凄く異質で
寝る前に見るには最高に良いかも。
これみて笑えない人とはお友達になれないなぁ。

Dorian_dvd_01_1

必ず見ましょう。

どの話が面白いと思えますか?

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2007年7月28日 (土)

手を取る二人

自分を標準と考えると
日々の生活の中で
ついつい見落としがちになる事がある。
一方では謙虚さに繋がるけれど
他方では鈍感になる事もある。

仕事中に
こちらを見据えながら
不動の姿勢で立っている若い女の人が居た。
それなりにやる事があったので
暫く気にしなかったが
いつまでたっても
その姿勢は変わらなかった。

ふと見てみると
その人は杖を持っている。
よくよく見ると
こちらを見ているようでいて
その実見えていない事が分かった。

急いで声を掛ける。
彼女は暫く一人で待たされていたのにも関わらず
謙虚に丁寧に話し始めた。
既に他のスタッフが対応していたらしいが
ちょっと待たせ過ぎだ。
大勢が行き交うこの空間の中で
一人待たされるのは僕ならイヤだ。
少なからず好機の目にさらされる。

スタッフ二人で彼女の探し物を探し出し
先に対応していた山野辺君に任せた。
やはり彼女はひとしきり
謙虚に感謝していたのが目に映る。

すると山野辺君は彼女の手をスッと取って
誘導していた。
なんだかその瞬間に
時間が止まったように感動したんです。
自分なら自然にそう出来たのか分からないんです。
少なからず人の手を取る事に
もしくは触れる事に
後ろめたさを感じてました。

その後は何だか早送りのように
時間が進んだけれど
二人が歩いている姿だけは
ゆっくりと進んでいました。
僕も彼の後を受けて対応したのだけれど
申し訳ない気持ちになってました。

あれこれ考えていても
実際に行動しなければ
結局はその人の為にはならない現場を
噛み締める。
彼女は最後まで謙虚に微笑みながら
帰っていきました。

なぜ彼女の存在をすぐに気づかなかったのか。
どうして手を取ることを恥ずかしいと思ったのか。
どうして山野辺君は自然に手を取れたのか。

そんな事を考えながら
彼女の要望は時間のかかるモノだったけれど、
対応した山野辺君の対応は
接客どうこうじゃ無くて
人として良かったと思う。

自分にとって当たり前のことが
他の人にとってはそうじゃなく、
自分に取っては良いと判断した事が
他人にとってはそうでもない事がある。

僕には後に引く思いが残ったけれど
彼女にとっては良かったのかも知れない。

もしかすると
二人にとってはたいした事では無いかも知れない。
しかし僕には大変な戒めになりました。
あの時の山野辺君と彼女の姿は
暫く忘れそうも無い。

他人に対してこれをしておけば確実に大丈夫だと言える事はありますか?

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2007年7月27日 (金)

夏の人

空気が暑い。
ムウァーッとした熱帯の空気の壁を
チャリでシュパーンと切り込む。
おかげで顔やら体に水分が溢れる。
イヤな季節だわ。
夏は苦手だ。特に都会の。
スーツ姿の働きマンを見るのもつらい。
よくジャケット着てネクタイ閉めれるな。
皆さんcoolbizなんでしょうか。
そんなに浸透してるのか。
もっと浸透してくれれば良い。
服のみじゃなく僕らの意識と環境も。

お昼に飯田橋のcanal cafeに出かける。
夏のプランを決めに
仙波さんに会いにいく。
この人は夏が好きな人だ。
冷えた室内に身を置きたいと思っていたけれど
着いたら
外のテラスでニコニコ夏模様を愛でていた。
夏の中で涼やかな人だ。

プランを決めるのも大事な用事だったけれど
それと同時に
この秋か冬に彼女はパリに行く事が
決まっているので
その経緯を聞きたかった。

彼女は無理が無い人だ。
勿論努力する場面は迎えつつも
ガメツくガッツク様子がない、
全くもって気持ちのよい人である。
そんな人が珍しく興奮してしまうような
一大転機を聞き逃す訳にはいかない。

話を聞いたら全くamazingな話だった。
amazingながらも日頃の積み重ねの結果が
奇遇と必然を呼び寄せたことがよくわかった。
流れが自然に自分に流れ込む。
そんなタイミング何だろう。

羨ましいし、凄いし、面白そう。
頑張れ仙波さん。頑張れ源さん。
いや、もう頑張ってるな。

暑い夏の日に
一見涼しく、実は熱く頑張る人は
素敵なモノです。
僕も暑いからこそ頑張ります。

誕生日おめでとう。


蒸し暑い日本の夏に必要なものは何ですか?

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2007年7月26日 (木)

一つのflow

子供の頃
学校の先生に
「人間は60分間の内、50分しか集中出来ない。
 だから学校の授業は50分なんだ。」
と言われて以来
そういうもんだと思って
今まで過ごしてきた。
だからか
体の体内時計が50分ごとに警笛をならす。
実際はガクンと落ちるようなモノでは無く、
なだらかな曲線状に
ゆっくり落ちていくように感じる。

そして落ちた後の数分間に
大抵の問題が生じるのです。
統計的に見ても自分には
この法則が正しく作用されている。
経験値からそれが分かるのだけれど
面倒なのは
それを他人には説明出来ないと言う事。

ただ昨日は
そのリズムが違っていた。
上がりもせず下がりもせず
一定の精神状態でいられた。
多分ミスも少なかったはず。

強いて言えば
頭の回転速度とは別に
声のテンッションが低くて
相手に言葉が伝わらなかったことか。
伝わらなかった所で
頭の中では次に行ってしまっているので
後戻りして説明が出来なかった。
これには後悔。

どうして一定の精神状態で
集中力が保てたのか考えると
そこに自発的な要因があるのではなく
その場の環境が
そう促していったように思えた。
これは僕にとっては
メッケモンのようなモノで
それを自分で作ってしまえば
いつでも何処でも
快適なflow状態が作れてしまうわけだ。

毎日様々で微妙で繊細な感情の起伏が
立ち上がっては消えていくけれど
一つのイメージを作りだすテクニックを
いくつか持ち合わせる事は
毎日の生活の中で必要な事だと思う。

昨日のそれは
なんとなーく覚えておく事にしよう。

最近、どんな時に適度な緊張感の中で集中しましたか?

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2007年7月25日 (水)

anytime,anywhwre

当然のように
未来を占うすべは
僕には無い。
そこで
占うと言うより伺うように
考えてみると
希望に満ちたよ言うよりも
不安に満ちた想像が立ち上ってしまう。

僕個人の事を含めて
家族や友達やそのまわりの人を含めて
そう思えてしまう。

何でも出来ると思っているうちは
何も言えないので
何でもやるようになってから
発言しようと思う。
その間の時間は3分以内。

"「ひきこもり国家」日本"を読み終える。
前回の"ヤバいぜっ!デジタル日本"に比べて
個人的には読みが進まなかった。
それは読む程に
ムラムラが頭の中に広がっていくからだ。
ちょっと恐ろしい気すらする。

全ての内容に
賛成するつもりはないけれど
やはり的確に的を得たもの言いは
あながち受け流すことを許してくれない。

僕の知り合いには
普段の生活が見えない人が多い。
会ったら会ったで
嘘の無い言葉を投げかけ合うけれど
実際の雰囲気やリズムのようなモノは
ともに現場に居なければ
掴み辛い人が多い。
その事は特別問題ないのだけれど
いつも思うのが
「この人たちに休みはあるのか」
と言う事である。

世間的な休日と言うのは
勿論作っているのだろうけれど
大事な友達程
時間を持て余している人は居ない。
皆それぞれの思う所を
攻めているように思う。

昔の人は公と個を分けた生活を
普通として過ごしていた。
本居宣長は
公には医者で個では国学者であったし、
伊藤若冲は
中年期中頃まで
青物問屋の主人をしながら絵を描いている。
今で言うなら
養老猛司さんは
解剖学者でありながら昆虫学者でもある。

その時はそれで良かった。
その時代の中で
最速の選択をしてきたのだと思う。
十分に見習う要素がいくつもある。

しかし
今の時代は過去のそれと違い
情報の流れが激流で
それに伴い物事の流れも激しくなってしまった。
実際その流れを僕は把握出来ていない。
個人が作った許容範囲の中で
熟孝を行える時間が少なくなってきた。
おそらく
公の自分も個の自分も
限られた時間の中で
混ざり合って混沌している。

その中で頭角が現れた人と言うのは
その混ざり具合が
絶妙なバランスを生み出せている人
なんだと思う。
ここで言う絶妙なバランスと言うのは
今の今だけに有効なバランスという事。
それはドンドン移り変わっていくモノ。

そんな物事だけでは無く
個人の意識さえも混ざり合っていく中で
昔見たお父さんのような
寝転んでTVでゴルフを見るような休日を
過ごしていて
その時々の時流を乗りこなす事は
想像に難しくない。
今も働く僕の父親自身も
そんなスタイルはとっくに超えてしまった。

考えようによるけれど
僕が持っていた休日のイメージは
もう使えない。
いつでもどこでも
働き休み遊ぶ。

そうしないと
今のスタイルの中で生まれた
モヤモヤは
到底消え去りそうも無いのです。

夏に休暇を取る予定の人はどんな過ごし方をするつもりですか?




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2007年7月24日 (火)

助平心

目が覚めて一時間後、
何人かに声をかけたものの
全員に断られて
結局一人でリトルモア地下へ行く。

木曜に毛皮族の"四姉妹"を見て
突き動かされるように
"おっぱいファミリー1、2、3"の追加公演。
日曜のお昼だからか
会場は満員でより一層狭く感じる。

リリックのように
"おっぱい"が被さってくる
ナンセンスコメディのような演目。
ユルくて無意味で畳み掛ける感じなんだけど
何かが隠されてる感じがする。
何だろう。
ニップレスで隠しつつも
おっぱいは出していたし、
性別を超えて衝動みたいなモノは
ほとばしっていたし、
さらけ出されているのだけれど
何かが裏にあるような感じがする。

あ、でも官能性って何かを隠す事で始まるからね。
これは正攻法だとは思いますよ。
助平な自分としては
その裏もやはり気になるわけで
改めて助平な自分を再確認した時間。

その後
出来るだけ人の少ない道を選んで
iPod片手に散歩する。
断ってきた人らに
どう報復を試みるか考えながら歩く。

夜はこれも多分僕の助平心から
働きに出かける。
思えばこの日の自分は
助平心に突き動かされた一日だったなぁ。


毛皮族の演劇に隠蔽されているモノが見つかりましたか?


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ニギニギする

土曜に新国立美術館の
"SKIN+BONES"展を見る。
午後から深井晃子さんのレクチャーを
聴衆して
再び展示を見る。
服の展示は何度か見てきたけれど
今回は建築が絡んであるので
それとなく頭をニギニギしてみた。

あんまり響かず。

建築をテーマにし
美術館のような箱でどう見せようとも
服と同じように
その建築物の中に入って見ないと
結局は本質が分からない。
グッゲンハイムやディズニーにしても
ビジュアルのみならば
雑誌やネット経由で
より詳細なディテールを見る事が出来る。
多分両方の本質を外した
周辺の諸々に
今回のコンセプトが成り立つのかしら。

他の来場者も
それが感じ取ったのか
結局は馴染み深いファッションの展示を
中心として見ていた。
建築の模型や製図を見るのは
建築を学ぶ学生くらいのモノ。

服も良いけど
それだけだともう飽きる。
CDGもyohjiも毎度同じ文脈で語られて
同じ所を何度も見られて
鬱陶しくなったりしないのかな。

テーマは10年前位から言われているものだし
この展覧会も巡回展だから
時差があるのは仕方がない。
しかし時間をかけた程のmush upは見られない。
深井さんの
歴史との結びつきを紐解く話は面白かった。

夜は五月changと平綿君と
念願のホルモン道場でホルモンを食べる。
センマイ旨い。
コブチャン旨い。
ハツモト旨い。
やっとの充足感に高揚。

今までの経緯がまるで違う3人の鼎談。
ここではなかなかキックが生まれなかったけれど
多分これから出るかもしれない。

遊んだ分は動かなければと
深夜に少しこず買い稼ぎに出かける。

建築と服を掛け合わせた理想的な形とはどのようなモノ?

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2007年7月20日 (金)

これが良い

弟からスニーカーを頂いたので
体力の衰えもやや感じるし
僕も走ろうかと思い
短パンを渋谷、原宿で見て回る。

何でもないペラッペラで
地味めのパンツを探すものの
意外に見つからない。
凝ったテキスタイルの物や
カーゴパンツみたいな物は
見付けやすいのだけれど
お目当ての
ペラッペラの生地のパンツは
どうやらニーズがないらしい。
スポーツ店に行けばあると思うけれど
スポーツモノの
あのデッカい名前のプリントが
イヤなんで眼中にない。
ペラッペラが良いのです。

結局見つからないので
細川さんと合流する。

先週のポツドールに続き
今回も細川さんナビのもと
昨日は毛皮族の軽演劇を見に行く。
ちょっとした待望の公演。

演出の都合上
エアコンを切られたリトルモアの地下で
濃厚なポタージュのような
演劇を見せて頂く。

F演目"四姉妹"
面白い。最初っからグイグイ持ってかれる。
この人たち演劇が好きなんだなぁ、と
自然に思えた。
何事も当人が楽しんでやっているモノを
見させてもらうと
気持ちのよいヴァイブが伝わってくる。
そこに力の抜けた程よい脱力感が広がると
あのような狭い現場では
グイグイと意識が持っていかれてしまう。

終演後細川さんと話していた時に
「あの人達はカッコいいな」
と言う事に気づいた。
今までの拙い演劇体験の中では
初めての感想だった。

タフでセンスの良い女たち。
やはり今は断然女の人が
カッコいい時代なのかしら。
あやかりたい。あやかりたい。

演劇に限らず
一見同じように括られたモノの中であっても
多様に雑多なモノがある方がいい。
虫のように複眼的に
それらを俯瞰する姿勢は必要だけれど
その中で
誤解を恐れず「私はこれが良い」と
決意する覚悟は
何かを人様に届ける人にとって
基本的な姿勢であり
また最終的に
それが全てなんだと思えた。

その後細川さんと喋りながら
ご飯を食べる。
場所柄賑やかなお店に入ってものの
細川さんと喋るときは
ある程度静かな場所を選ぶべきだと思った。

代々木公園を抜けて渋谷まで歩く。
暗がりの中やや冷えた空気が心地よい。
一人で歩くのなら
ただ寒いだけかも知れない。
誰と歩くか、それが重要なんです。

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2007年7月19日 (木)

天秤ゆらゆら

デリシャスウィートス熱に
暫し犯されながら
山田広野さんのDVDを見てしまう。
何だかドンドンアングラに
身を染めてしまいそう。
今夜は毛皮族だし。

見ていたいた映像に
とびきりのネタを見つけてしまい
随分興奮してしまったが
これが分かるのは
半径数メートルの人たちのみ かな。
「フィスト!フィスト!!」

最近読み出した
"引きこもり国家 日本/高城剛 著"
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を読んでいると
フムフムと思いながら
ジワジワとテンションが下がってきた。
凄く面白いのだけれど
自分をその世界に
なかなか投影出来ない。
たぶん読み続ければ
変わっていく予感があるけれど・・・。

社会の表も裏も
僕にとっては関係がない。
否、同じことだと思っている。
どちらも必要だし
どちらが無くとも他方は成立しない。
両方の文脈を体験しなければ
自分の存在なんて
確認出来ないんじゃないか?

普遍という天秤を
自分の中でゆらゆらさせる事が
今の個人的な姿勢らしい。
だからか最近は
偏りのある人を見ると
逆説的に注目してしまう。
そういう人が居るのは面白い。
ただただ尊敬の思いを描く。
自分はそうなり得ないからだと気づいたからだ。


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2007年7月17日 (火)

ユルくてハッとして妖しい

2時間程眠ってから
弟を品川まで送る。
あっという間に3日間が過ぎた。
話せた事と話せなかった事の
両方があるけれど
大輔はどう感じたんだろう。

新幹線の時間までに
お茶を飲み最後のお喋り。
話して行くうちに
身の回りのことから
頭の中のことに話が移る。

あーだこーだと言っていると
弟に鋭い一言を言われてしまった。
「ヌルいよ」
思わずハッとしてしまった。
今回弟が発した言葉で
一番キックが聞いていた。
なんかやっと大輔の言葉を聞いた気がする。

昼から紀さんに誘われて
御徒町へ初めて寄席に行く。
見ず知らずの人13人の中で
ちょっと気分が高揚。
五月changも参加したが
女性は浴衣が多かった。
どうやらこの時期は浴衣割引があるらしい。

組合ごとに演芸場があるらしく
僕らは鈴本演芸場に行く。
やや遅れて入ったのだけれど
お客さんもばっちり入っている。
どちらかと言えば
関西の笑いの方に馴染みがあるのだけれど
関東の古典と言うのも
独特な雰囲気と流れがあるようで新鮮。

爆笑と言うわけではなく
言葉に聞き入るように
静かに笑う。
そういう笑いもあっていいし、
少し笑いの幅みたいなものを感じた。

しかし寝不足のせいか
持ち込んだビールのせいか
ついつい睡魔に襲われた。
たぶん舞台からは丸見えだったと思う。
ちょっと後悔と反省をした。

その後は靖国の御霊祭りに向かう。
金曜に弟のリクエストで
すでに参拝していたのだけれど
休日と言う事もあり
参拝者がやたら多い。
ドクター中松が居る程である。

いろいろな屋台がある中で
ちょっと裏側に見世物小屋があった。
金曜から気になっていたのだけれど
今回は入ってみた。

デリシャスウィートスなるグループの
マジックショウと
蛇女 小雪太夫の蛇食いの二本立て。

Photo_21 Photo_20


最高です。
眠気が都合良く吹き飛びました。
この人たちちょっと気になる。
キッチュでレトロでハレンチ。
妖しくて真っすぐで正当な亜流。
しかも一回600円。
それぞれ交互に延々とパフォーミング。
良いモノを見せて頂きました。

いろいろあった一日だったけれど
こんな日本人らしい一日も
結構楽しいのでした。

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2007年7月16日 (月)

隣にブラックホール

おおぉ、今年初の台風体験と思いつつ
東大で行われている
"UBIQUITOUS MEDIA"内の
Exhibitionを見に行く。

以前講義を聞いていた
池上高志さんと渋谷慶一郎さんの
プロジェクト"Taylor Couette Flow"
を体験する為です。
一度解説を聞いていたのに
自分流の解釈しか出来ないのが
情けなく悔しいのだけれども
ここで着眼されているポイントが
凄く素敵なモノだと思います。

普段自分が
意識するモノとは別に
無意識なモノの存在に
思いを巡らす体験。
なぜ無意識なモノに無自覚だったのか、
また
無自覚だったモノが
どう自分の価値観の生成に
関わっているのか。
そういった事に意識的になる体験。

アリですよ。

他の作品もとても興味深い。
特に気になってしまったのが
児玉幸子さんの"Morpho Towers"。
その形容しがたい動きに
暫し見入ってしまい
そこからどんどん
イメージが沸き上がるようでした。

作品達の制作背景には
僕が計り知る事の無い
科学的知識の集積があるのだろうけれど
僕にはそれが全く分からないのです。

自分が慣れ親しんだ生活の中に
当たり前のように
ブラックホールがあり
その奥には別の次元があるようで
怖くなりました。
その存在に対してではなく
それを知らない事に対してです。

自分が「こんなもんかよ人生って」と
思っている
現状のシステムの原始には
壮大な知識と経験の積み重なりがあり、
その上で自分の生活を
勝手にやり始めてしまったことに対する
安直さがムクムクこみ上げて
恥ずかしくなってしまいました。

「あぁ〜、下手な事はいえません」

凄く狭いスペースの展示だけれど
最近の好き嫌いが優先されるモノの
溢れる中で
このようなコンセプトも理論も
キッチリまとまった作品を
目のあたりにするのは
とても特異な刺激になります。

一緒に行った五月changは
渋谷さんの音を聞いて
「怖くなった」
と言っていたので
あながち自分だけが
感じた事でもないようです。

つまらないだの、くだらないだの
言う前に
自分の隣にブラックホールを
置いてみてはどうだろうか。
気を抜けば引き込まれてしまうけれど
それぐらいの緊張感があるほうが
余計な事に捕われないで
良いかもしれない。

薄々考えていた事だけれど
優れたクリエイトっていうのは
日常の中にある
一見ありふれたモノを
違った側面から捉え直させる事が
表現を通して行えるって事なんだわ。

これで少しは
なんちゃっての輩に
惑わされないですむ基準が出来ました。


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2007年7月15日 (日)

色々なmode

弟が買ってきてくれた
クリスピークリームドーナッツ
を頂く。甘い。

以前新宿に立ち寄った際に
その行列を橋の途中まで
見かけたのだけれど
自分なら決して並ばない列だったので
噛み締めて頂く。
甘い。エルビスになりそうなほど。

渋谷に出かけて屋島に行く。
東京のうどんを弟に食べさせようと
ここでは並んでみたのだけれど
前に並んでいた
日本人二人、外国人一人の3人組が
片言の英語で話していたので
聞き耳を立てる。

うどんの説明は難しい。
作り方、だしの種類、うどんのこしの感覚。
さらにこの店には天ぷらがある。
ジャコ天はどう説明するのだろう。

こういう現場は緊張する。
日本に居ながらも
不思議と外国人modeが
本人の中に立ち上がる。
熱がこもりBody Languegeが大きくなる。
感嘆詞も増える。
「Oh,ya!」「Aha!」「Hey.Meeeeeen!」

しかし此処は日本である。
さらには地下のうどん屋である。
店にはレトロな玩具が並び、席は狭い。
相席上等。
隣ではスポーツ新聞を読むおじさんが
パスタではなく、うどんをすすっている。

おそらく当人達以上に僕は緊張した。
その片言でも英語で
話さざるを得ない現場を僕も体験している。
なるべく耳に入らないように
無理矢理弟に話しかける。
うどんどころではなくなった。

でもあの現場で一番
脳をフル回転させていたのは
あの二人だろう。
この時の感覚が何よりも
良い刺激となって
あの二人に残るのだろう。

そういう現場を馬鹿にしては行けない。
脳だけでは無く
魂も活性化されているはず。

その後観光スポットをうろうろする。
雨の日は辛い。
付き添いとはいえ
繁華街の人々をかき分けるのは
本当に辛い。
心が寒くなる。

五月-changに晩ご飯を用意してもらう。
そこでやっと一息つけた。
自分の感覚は
どうやらこちらを選ぶようである。
オセロを何年かぶりにやってみた。
一回も勝てなかった。
イカサマしても勝てなかった。
悔しかったけれども
寒くはないのです。

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陰の点

木曜日は母校に行く。
あまり気の進まない用事だったけれど
決心して行く。

その後細川さんと合流し
三鷹に向かう。
駅から然程離れた所に
そのきれいな会場はあった。
いよいよポツドールの舞台
"人間 ♥失格"である。

僕は人間失格は読んだ事が無い。
太宰治の作品を読んだ事が無い。
ある意味免疫無しの状態である。
岡村靖幸のような曲が大音量で鳴っていた。

始まる。

・・・

見終わった後、無言で外にでた。
前回の"激情"に比べて
今回は平然を装う事が出来たのが
自身のことながら
不思議な感じがした。

しかし頭の中では
激しく拒否反応が出ていた。
イサムのような人間は多分いる。
僕の知っている世界にも・・・。
その行動や結果に見覚えもある。

だけれどそっち側に行きたくはない。
自分と彼らは違うと思いたい。
でも何処かで
そうならない可能性は無い、
とは言いきれない怖さに襲われる。

心が浄化されたがっている。
細川さんと話しながらも
内心はしんどかった。
自分でも驚くほど
正直で幼い感情に覆われた。

公演中に時折笑いが起こった。
僕は全く笑っていなかった。
目を閉じてしまった箇所が
暴漢シーン以外にもあった。
見るに耐えなかったのかもしれないし、
受け入れる器が無かったのかもしれない。
むしろ両方だと思う。
自分達はイサムのケツ穴から飛び出した
カスのように思えてきた。

恐ろしかった。
そのリアルな危機に
自分の心が簡単に挫けそうで
必死に喋った。

「あれは僕の為に作ったのかと思いましたよ」
細川さんは言った。
凄いな、と思った。

心が揺れ動く事は
数が少ないなりに
今まで自分たちの中で続く
大切な作用の一つだと思うけれど
その過程は様々。
悲惨な体験。うれしい体験。
惨い体験。楽しい体験。
感情の働くパターンの数だけ
心がゆれるチャンスはある。

僕はその中でも
活力がわき上がるような
プラスのゆれを好み求めてる。
結果偽善であっても
人の為にという発想を
表出されたモノには含みたい。

荒んだ現代だと思うなら
逆転する結果を掴みたいと思う。

三浦さんの脚本、演出に対して
興味は確実に持っている。
しかしその作品から得たモノは
僕の考えの嗜好から
一番遠い所に片付けておきたいと
思ってます。

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2007年7月14日 (土)

山、動く。

朝から弟がやってきた。
随分久しぶりの上京で
やっと山が動いた、
という感じがする。

夜行バスで来たので
眠いのかと思っていたが
普通に眠れたらしく
元気である。
さすが山、些細な変化は関係ない様子。
僕は眠かった。

今回大輔のリクエストで
ホテルクラスカの近くの
"武蔵野"に蕎麦を食べに行く。
僕は知らなかった蕎麦屋さん。
お初なので
量を確認してせいろ二枚を頼む。
弟はせいろ一枚と納豆蕎麦を注文。
おいしい。
こしがいい、ツユが上手いは当たり前で
そこに居て
お茶を飲み蕎麦をすすっていくと
心と体が落ち着いて行く。
不協和音が一切ない静寂の上手さ。
納豆蕎麦を少しもらった。
ムムムッ、ムウォー。
次回から納豆蕎麦にします。
多分あのツユなら天ぷらも美味しいだろうな。
良い所を知りました。

中目黒まで徒歩で歩く。
道に迷いながら。
ムシムシした中、歩くのは本当にキツい。
酒屋さんで道を教えてもらう。
お店の人に道を聞くのが好きだ。
本来お客という立場から
一人の迷子になると
商いの人も対等に接してくれる。
知らない人でもご近所さんに見えてくる。
警察だとこうはいかない良い感じがある。

再び大輔のリクエストで
靖国に行き参拝する。
靖国が問題になる中で
その場所を知らないのはまずい
と思ったらしい。

新宿伊勢丹に案内して
僕は一人渋谷へ向かった。
"Sketches of FRANK GEHRY"
を見る。
楽しみにしていたのだけれど
やや歩き過ぎで
ついウトウトしてしまう。
後方からでかいイビキが聞こえてきた。
うるさいながら親近感があった。

観賞後合流して
近所のステーキ屋さんに向かう。
一日を振り返った話。
家族の話。昔の思い出話が出てくる。

夜に弟のいい加減あ髪を散髪。
失敗なような成功にいたる。
それは多分失敗なんだと思う。

Photo_22
その後狭い我が家で就寝。
山からイビキが聞こえてきた。
うるさいながら昔を思い出す。

今日は大輔の存在意外は
何にも特別な事をしてないし、
特別な事件もナーンにもない。
しかし、それでも良いかもしれない。

家族はそういうモノだと思っている。



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2007年7月13日 (金)

陽の点

新宿から久しぶりに中央線に乗る。
車窓から見える景色は
ちょっと懐かしいように
思えたけれど、
実際は確実に変化があるわけで
僕が単に懐かしく思いたかっただけかも知れない。
「いやいや、僕も東京を少しは知ってますよ」的な。

細川さんと三鷹で降りて歩いていると
"武蔵野手打ちうどん"なるモノを見つけた。
うどん好きの僕からすれば気になる佇まい。
親父さんらしき人が
番頭さんのように入り口の席で座って
道行く人と話している。
厨房には今のご主人が寡黙にうどんを茹でる。
女将さんがお客さんとニコニコ話している。
なんかいいなぁ。

昆布と豚肉で作られたツユは
意外とさっぱりしていて
モチモチのうどんは食べごたえがあって良い。
そして付け合わせのかき揚げが
サクサクと小気味良く
ツユにつけると味がしみ込みさらにおいしい。
奥では座敷で中学生が
友達とうどんをすすっている。
家族連れもいる。
何だか高松に戻ったような風景。
良かったです。

ポツドールの"人間 ♥失格"を見る。

その感想はもう少しまとまってからにして
五反田に戻る。

細川さんとチェゴヤに行く。
いろいろと話を聞かせてもらった。
細川さんに対してはどうも気を許してしまう。
不思議な感じだ。
まとまりがつかない話でも
いい加減な格好をつけて話が出来ない。
そういう人なのです。

マッコリが頭に回ってきたので
良い時間に帰ることになった。

一日の中には動いていれば
いろいろな事が重なるわけで
どちらだけで成り立ってくれない。
実際の昨日は
コントラストの効いた
だったのだけれど、
まず気持ちの良かった陽の点を
残す事にします。


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2007年7月12日 (木)

Think Five sence,Feel mind

月曜の美術解剖学を
空振りしてしまったけれど
掲示板で
"ヴェネチアビエンナーレ報告会"
なるモノを知った為
上野に向かう。

近所の本屋で
気になる表紙の本があったのだけれど

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それと
ヴェネチアに出典した
岡部昌生さんの作品が繋がったのは
やっと昨日のことで、
あの細菌のようなモノが
フロッタージュ(対象に紙などをあてて鉛筆などで擦り取る)
された
石や道路などという事を
初めて知った。

今までの経緯、
展示のコンセプト、
制作中のエピソード、
などの話を聞く。

とても真面目で実直な話から
自分と他者と歴史の関わりに
思いを巡らせた。

その対象に触れて感じることで
見る以上に何かを
思い起こさせる、
思いを込めることが出来るらしい。

先日見たプロフェッショナルでの
鬼師の方の話を思い出した。

僕らは実用性、便宜性を優先しがちで
見ただけで全てが分かったと
思ってしまう。
しかし、そこに何かしら
掴みきれていない
溢れてしまったモノが
実は様々にあったように思えてきた。

52回目のヴェネチアのセレクトコンセプトは
「五感で考え、心で感じる」

そこでは
五感の相互性を持った
もっと根源的なプロセスを経た上での
人間としての知性の表出を
岡部さんは見いだされたのだろう。

岡部さん自身は30年も前から
フロッタージュの制作を続けてられているわけで
ヴェネチアでのコンセプトが
追いかけてきた感も
あると思うけれど
その制作の意図に
普遍性があったからこそ
選ばれたという一面が必ずあるはず。

普遍性をないがしろにしては
届けたい思いも
届かない。

時間の都合で
最後まで聴衆出来なかったけれど
歴史と自分と隣の人を考える
チャンスを得られることが出来ました。

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2007年7月11日 (水)

おやじになるとは

ついに、と言うか
いよいよ、と言うのか
雨降りの季節のよう。
台風も近づいているらしいし
チャリがかわいそう。
いやいや乗りますけれど。

最近の必須事項として
背負い込んでしまった課題たちを
どのようにさっさと
下ろすかが肝のようです。

背負い込んじゃうんですよ。
そして
溜め込んじゃうんですよ。
そして
身動きが取れん。
否、取りたくないのかも。
でもそれじゃ行けない訳で・・・。

仙波さんも冬には渡仏するし
それまでに今の荷を片付けるのでしょう。
ちょっとショックというか
シゲキテキでした。

昨日読んだ記事の一節

「今の時代性というやつで、
 世間では先行きを失う若者たちが蔓延し、
 大人にならない子供たちが急増している。
 若い人はま"何者"にもなっていないからこそ、
 自分があらゆるものになれる可能性を
 留保していると思っている。
 逆にいうと、
 留保し続けたいから大人になれない。
 だから主人公たちも
 大人にならないことで自己実現を破壊させる。
 だから当然かれらは破滅するわけだけど。
 ・・・・・・・・
 僕はとっくの昔におやじになったけど、
 そうなることでつまり"何者"かになった。
 自分の一人娘と向き合うくらいに。
 だからこそ、
 そんな僕がお進めしたいのは、
 要するに生き始めてみればっていうことなんだよ。
 たしかに辛い目にもさんざん遭うでしょう。
 でも生きるに値する何かに必ず出会えることがある。
 それだけは信じられると思うんだ。」

痛いけれど響いたなぁ。

おやじになることで
何かを受け入れ諦めることもあるのかしら、
でもそっから湧き出た言葉が
自分の言葉だよなぁ。
なんだか余計な事ばかり喋ってきてたかも。
私欲のエネルゲンは
"何者"かになる為にのみ使うのがイイ。

まずは週末までに片付けます。
さてと、仕事仕事。

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2007年7月 9日 (月)

これが世間の空気です

眠る事で
前日の出来事の記憶が
程よく流れて
浄化されるらしいが
今は未だに悶々としています。

滅多に覗かない2ちゃんを
見てしまったのが良くない。
ちょっと調べものついでに
覗いていたのが悪かった。

今でも個人で名前を出さない人たちが
いろんな言葉を書き込んでいる。
中傷したいだけの人も
暇な人も
本人的には切実な人も
それぞれいるんでしょう。

その中の一人が
こんな書き込みをしていた。


世の中には年齢で制限する事実は明らかに存在する。
もう諦めなよ。
取り戻せないから。
その年齢までフリーターやってたことを反省するしかないね。

あなたは現実を受け止めなさ過ぎ。
わがまま言わずに大人になって、残りの人生をどう作っていくか考えたほうが良いよ。
人間、仕事で生活作れるほうが大事だから。

ふむふむ。そうだよにゃって、
何これ。

当たり前の事のように
書きはなっているけれど
この人は何を基準としたいんだ。
ていうか自分の基準と
世間との基準の移ろいがまるで無い。

どれ程の経験値から得た
どの様な結果から
こんな言い回しが出来るんだろう。
自分への不満を
匿名でまき散らすなよ。

何かに向かって
進む事が出来てる人なら
こんな事をあのような場所で
言ったりしないんじゃないのかな。

単純に勤勉な態度の無い
暇の成せる所業でしょ。

匿名性という囲いの中で
ようやく本音が言えるようになったと
思ってしまっている人たちの
思考てこういうことなんか。
じゃぁ、名前だせよ。
出したところで個人意見に変わりはないけれど
そんなに軽率に
「これが世間の空気です」
みたいに流しっぱなしにするなよ。

無責任でしょ。

・・・・・・・・・・・・

しかしながら
気になったということで
それには僕の中に入り込んでくる
何かが確実にあるのも事実。

クソッタレと思いつつも
どこかで
分かってきてますよ、と
考えている所があるのは
隠しようが無い。
だから未だに
悶々とにしてるんでしょうね。
そういう自分に自己嫌悪。

あ〜見るんじゃなかった。

僕はそこんところで
自身の鏡を隠蔽したくない。
私は現実主義者でござい、なんて
そこんところで言いたくない。

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2007年7月 8日 (日)

ちっちゃくPaddling

眠い、眠いと思っていても
何気にキッチリ
仕事が出来る時がある。
逆に
今日はアレしてコレして忙しいぬわ
と思っていても
突然睡魔に教われて
寝てしまう時がある。

以前の上司に
「本気度の問題」として
説き伏せられたが
それはそうとしても、
それ以外の何かもありそうな気配。

僕自身は
とても自分好きな思考があり
そこからの嗜好が
様々な事象に対して
影響を与えているように思える。
かいつまむと
自分にとって有益か否か。

しかし時として
そのジャッジは間違えもする訳で
その後の後悔は
なかなかの荒波になるわけです。

実際のところ
最近は自分にとって
無益な事なんて
あるのかしら、と。
全ての事には
大なり小なり面白い部分があって
それを見つけられないのは
自分の思考の巡りが足りないだけで
間違ったジャッジなのではないかしら、と
思うようになりました。

何だか広大な波の中に
自身が埋没していくように
感じてしまうのが
現在なのですが、
そんな中でも
何かしら面白いモノを掴んで
Paddlingを続けたいのです。

具体的なイメージが湧かなくても
ちっちゃく続けていれば
沈む事無く
流される事無く
ちょっとちょっと進んで行ける。

まだまだ後ろを見返す時期じゃ無いですねぇ。

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2007年7月 7日 (土)

話上手な人

雑誌、テレビ、Netなどで
僕がよくよく気になってしまう人の
共通点は
話が巧い人を見つけた時である。

僕が話下手で
ついつい余計な事を口走ってしまう
習慣があるせいか
話上手な人を見つけてしまうと
ついつい気持ちが
持っていかれてしまう。

以前PCに取り込んでいた
mp3のファイルを聞いていたら
思わず聞き入ってしまった。

渋谷慶一郎さんが
話をされていたのだけれど
曖昧な抽象が無く
語り口が軽快で小気味良い。
明快な言葉が
随分心地よい
刺激と情報を与えてくれる。

僕は現代音楽に関する知識が
(そもそも現代音楽って?)

微塵も無いけれど
その手のテーマは
話し手が
抽象的にしようと思えば
いくらでも抽象化に出来るし、
難解にしようと思えば
いくらでも難解になる代物である。


渋谷さんは
その起源から
現在に至るまでの過程を
独自の距離感を持って
捉えられていて
その枝葉を
具体的なサンプルを提示して
話されていた。
理想的な話の運び方に
ある意味うっとりしてしまった。

作品である音源はさらにうっとりである。
以前iTune storeで買った
ATAK010 filmachine phonics

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チャリに乗っている時や
渋谷にいる時によく
聞いているのだけれど
凄い事になっています。

どう凄いかは説明しませんが・・・。

自分のイメージやアイデアを
相手に分かって貰いたいなら
相手に届くサンプルをキッチリ用意して
自分とサンプルを繋ぐ言葉を
いくつも持ってないと
関心すら持ってもらえないし、
分からなくとも
分かった気にさせる事も出来ないのですな。
なるほどねぇ。
精進しますので
もう少し我慢してください、菅原さん。

ところで最近、
巧いなぁと思う表現を
"キャッチー"って単語で言っているのですが
最近お仕事中に連発してたら
年下の子らに笑われました。
"キャッチー"って
今は死語なんでしょうか。

 

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2007年7月 5日 (木)

吸収・蓄積・表出のバランス

詰まるところ
今の僕の問題点の一つに
何でも詰め込むクセに
表出が少なすぎる
ということが多々あります。

オイシイモノを詰め込んで
悦に浸るのは快感なのですが、
どうもマズイモノも詰め込んでしまうようで
それらが溜まってくると
青春街道のニキビの様に
膨れ上がってしまうのです。

そうなると
もうそのニキビが四六時中
気になってしまい、
あげくの果てには
鬱に至ってしまいます。

いかん、いかん、と思いつつ
なかなか表出・発散出来ないのですが
この間は勝手が違った模様。

仕事場での一言から
悶々とした3時間を過ごしてしまい、
いつの間にか
悶々から怒りに移行してしまいました。

とりあえず今の状態は良くないと、
品行良性な僕には似つかわしくない状態だと、
そういう流れで
仕事終了の時間に表出に至りました。

危うく家に持ち帰りそうになりましたが
途中何人か同士の賛同もあり
思いのほか奇麗に表出できました。

いつ何時も下らない話しか出来ない、
モノを平気で足蹴りするような、
タバコを道ばたに投げ捨てる、
うわさ話で他人に迷惑をかけるような、
そんなモラルの無い人間に
モラルがどうのこうの言われたくない。

言いたいことがあるなら
直接言いにこいよ、と。
回りくどくすんなよ、と。

勿論、表出の際は
感情に流されない程度に
旺盛を効かせて伝えることを優先しますよ。
ガミガミ感情でモノを言うほど
経験値は低くないのでね。

マズイモノは
大輔がプチトマトを吐き出すように
その場で放出した方が
被害が広がらなくて良いですわ。

あとは
もうちょっと短時間で
理論整然と話がまとまるようしないとね。
まぁ、とりあえずニュートラルに戻りました。
あぁ、仕事したなぁ。

吸収・蓄積・表出のバランスは
きっちり守らないと体に悪い。
そしてやっぱり
ブスとデブは嫌いです。



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2007年7月 3日 (火)

霧深く手探りで

続けることで
自身の中にいくつかのメソッドの
ようなモノが立ち上がり
そこから新たに
見つめる立ち位置が生まれる。

何かを始めるというのは
究極的には
あらたなフィロッソフィーを
見つけるための
最初のステップなんだろう。

先週末は珍しく予定が重なった。

現代美術館に
マルレーネ・デュマス:ブロークン・ホワイト展
に五月changと出かける。
雑誌でセルフポートレイトを見て
すごく関心を持ってしまったのだけれど
運良く五月changが誘ってくれたので
行くことができた。

五月changも久しぶりとはいえ
大竹さんの回顧展の時に
よくよくつき合ってくれていたので
この会場の使い方もよくわかっている。
お弁当を頂く。

深く考えなくても
パッと目に入り込み
いつの間にか
頭の中に刷り込まれる作品群
いいなぁ。好きだなぁ。

会場は以前来た時よりも
女性の姿が圧倒的に多い。
カップルがいたとしても、
デートコースの一つというより
これを見に来た、これが見たかった
という感じがする。
それもいいなぁ。
こういう所で出会いたいですな。

カタログ2冊買って新宿へ。

田植えでお世話になった
原沢さんと詩changに誘われて
非戦を選ぶ演劇人の会の舞台を見る。
僕の母校にほど近い会場には
多くの人が詰めかけていた。

憲法9条にたいしては
以前ジャン・ユンカーマンの映画を見てから
関心を持って自分なりに勉強した。
(ちなみにその年の年賀状には手書きで9条全文を書いた)

内容としては
参議院選に向けての
政治的な立場の表明だったのかもしれない。
しかし難しい表現だったと思う。
話はいろいろな事実を織り交ぜながら
一つの方向へ導くものだったし、
中に笑いもあり、構成も良かった。

しかし参加者はどういった人たちなんだろう。
当然関心がある人たちには違いないが、
その多くは始めっから賛同者だったんじゃないか。
確かにタイトルに
「口べたなあなたへ・・・」
とあるけれど
もっと雑多な立ち位置の人たちにも
参加されるような現場に
したかったんじゃないかな。
笑いを盛り込むなら
今の首相のパロディもいいけど
自分たちへの批評も
表現として内包するべきじゃないか。

エンターテイメントじゃ無くて
プロバガンダを目指すなら
他の参加者ほど同調出来ない。

夜は渋谷で学生時代の同級生に会う。
雄介kunの計らいで
7、8年ぶりに会った。
寺岡君、渡君、チエchang、雄介kun。
それぞれ違う生活をしているし
中身も変わったのだろうけれど
7、8年間の空白を埋めるかのようにしゃべる。
大変楽しいひと時でした。
ありがとう。

気づけば午前2時をまわり
その日はチャリが無かったので
タクシーで皆を見送ったあと
一人で五反田まで歩いた。

みんな大なり小なり違う道を
違った立場でたっている。
交わるタイミンングもあれば
平行線のままでいることもある。

誰もが決して
誰かを真似ることは出来ない中で
手探りで
暗中模索が続くんだろう。
これからもっと
霧が深くなるかもしれないけれど
その中で
誰かを、何かを掴まえたら
そこから繋がることを
続ければいい。
一元的な発想ではなく
独自の多様性を持ちたいですね。





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サイカイします。

暫くぶりに
自分のblogを覗き込むと

あんまり代わり映えしてないねぇ。
もうちょっと
悪戯やら中傷があってもいいのに・・・。
まぁ、僕自身が何かやんないと
当然変わらないわけで、
当たり前の状況に
勝手に退屈しました。

暫くblogのupが無かったのは
数年前に購入したiBookG3-sanが
実家に去っていったからで、
今は新しくMacBook-sanが
手元に届きました。
おかげで昨日までのno net lifeから
一気に
現在形の文脈に埋没気味であります。

実際この数週間は
それなりにいろいろとあったのですが、
それを書き残す新鮮さが
薄れてきているので
書きたくなれば書くことにします。

僕の生活上での決意やら
人の間での揺れ動く様やら
その時その時の思いも
数多くあるのだけれど
すべては必然性のままに・・・。

何はともあれサイカイします。


Mypicture_1

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