2009年10月31日 (土)

水が注さない

1週間ぶりのカイカイキキ・ギャラリーへ。
来週まで行われるGEISAI大学の今回のゲストはvisvimの中村ヒロキさん。

先週のWTAPSの西山さんの回を聴衆した際は
これまでの成り立ち、物作りの裏側の背景などを話されていて、
端的に要約するとファッションという枠よりも個人の系譜の話に
終始していた内容だった回に対して
今回は中村さんのプライベート話はほぼ無く、
ブランド、プロダクトの商品・製品のプレゼンに終始。

作っている本人にプレゼンをされると
その論理的な話と雰囲気の相乗効果で
圧倒的に納得させられてしまう。
何か1点でもvisvimの商品を買ってみようかな、と
思わず考えてしまう程のロジックにため息がでる。

しかし、何かがつまらない。
確かに理論整然とした話に思わず納得こそしたものの
でも、その手の話って
わざわざお金払ってまで聞きたかったというと
そうでもない。むしろ、「えッ、そんな話していいのか」
と思えるような水を注すような話がでる事を期待している自分に
開始40分が過ぎた頃にやっと気付いた。
前回の西山さんの時のような
司会の鈴木さんと微妙に会話がずれている中でふと立ち上がる
「あれっ、かみ合ってないぞ」的な瞬間と言えばいいのか・・・。

確かに、中村さんは独特の雰囲気がある人で
恐らく頭も良くて、人を巻き込む力を持っている事は
会場にいた人たちの大部分が感じられたと思うけれども、
じゃ、この人はどんな事をしてどんな生活を送る事が
気持ちいいのか想像しづらい。

プライベートな事が知りたいわけではないし、
どんな音楽が好きか、どんな遊びが好きかとか
そういう話を聞きたいとは思わないけれども、
冷水をたらされたような思わずキュンとする瞬間が無いと
個人的には現実味が湧かない。
そんな事を考えていたら、質疑応答でも気分が盛り上がらず
中村さんにとって嫌悪する人、溺愛する人について
話してもらいたかった気はしたけれど出来なかった。

どことなく消化不良の感じを残したまま退場。

あと一回に期待します。

その後、六本木のDOPEBERに行ってみる。
例の森永さんの本でASSHさんの事を書いていたので
会えるかと思い行ってみたが、
1ヶ月遅く、ASSHさんは辞めていた。
リアルなホーボー。でも残念。

結局一杯だけ飲んで家路につく。

どうやら次の事に備えろと言う事らしい。
弟との曖昧な電話のあと
今日の反省を施し布団にもぐり込む休日。

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2008年12月25日 (木)

鳥肌

曖昧に否定したい気持ちもありつつ
それでもイカンなぁと言う煮え切らなさと
久しぶりの友達からの誘いもあったので出かけました。

渋谷はクリスマスイブと年末の気遣いでごった返した人の中
正月用の紙と筆ペンを購入。
筆ペンは昔から実家にあった物の中で不思議な印象を持ったモノの一つ。
おばあちゃんの思い出。
今まで近くにあったのに使わなかった道具の一つ。
今は使いたくなった道具。

友達のSさんはparisに住んでいる。
年末と言う事でこちらに帰ってきた。
久しぶりにふたりで話したけれど
何だか会話が噛み合ない。
それはそれで面白いし、彼女の言葉には説得力と自信が感じられたのだけれど
今の僕には寂しい感じがした。
でも別々の人間として正しい態度なのだと思う。

遅れてもう一人の友達と合流後
この日、出向いたHARAJUKU PERFORMANCE+PLUS
あんまり気が進まなかったのだけれど
その思いは全く間違えていた。

山川冬樹+飴屋法水のパフォーマンス。
突き抜けた感覚/美意識に鳥肌。
血を使うとか、子供の朗読とか、嶋田久作さんの存在感なども
十分に必要不可欠な構成要素だったけれども
結果としての印象が僕にはすばらしい。

山川さんのパフォーマンスは何度か拝見したことがあったのだけれど
この日がベストアクト。
好き嫌いではなく理想的なアウトプット。
あそこまで自身の美意識を磨ききったものを見たのは今年初めてだった。

幼少期の思い出、これからの想像、肉体、可能性、好きな人のこと。

いろんな事が頭の中に巡らされて結果、昇天。
思わず拍手を忘れてました。

珍しいキノコ舞踏団も良かったです。
あまり書くと陳腐になるのでやめておきます。

鳥肌実は期待していた分楽しめました。
あまり書いたところで陳腐なので割愛します。
でも扇子を買ってしまいました。
次は違う場所で拝見したいと思います。

多分これほど表現って言う言葉に多くの人が引き込まれるっていうのも
今の時代的に大事な日本の要素だと思います。
みんながみんなチャンスがあると思えるのは幸せな事。

でもホントは・・・

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2008年12月24日 (水)

自分の態度を決めかねる。

20日のラフォーレにいかれた方が何人いるかは知らないのですが、
僕もサブカル日本の一構成員として見に行ってしまいました。
個人的には渋谷慶一郎のliveを体験したかったのだけれど
出不精の僕に誘いをかけてくれた友達のおかげで出かけられたわけです。

ただその日は朝から別件で朝が早くてラフォーレに着いた時には
もう目がしなしなになっていて
栄養ドリンクかビールかの選択に即座にビールを選び
身体的にもへろへろになってしまいました。

結果最初のdvdは何とか体験出来たのですが、
その後はよく煩悩のまま外でchill。
渋谷さんの時間にはテンションが上がってグイグイ動けたのですが
轟音ノイズとお客さんの多さに参ってしまいました。

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ライブは楽しいんです。
完璧な演出がされていればそれで良いし、
未完でも人間的な温度や雰囲気を体験出来るから
それを感じるのも醍醐味なんですが、
この日は何だか疲れてしまった。
渋谷サンのライブは初体験で面白かったし、
他の参加されてた人たちも一般的ではない
独特な事をパフォーマンスされているのだけれど、
何だか閉じてる気がしたんですよ。

その場限りというか、前後は関係ねぇよ的な空気と言うか。

まぁ、僕が前後のコンテキストを繋げられなかったと言えば
そういう事だけの話ですが。

サブカル日本の自由主義的に各々が勝手に自由に表現して
それをオモシレ〜と感じれればそれで良いのだけれど
多分僕は別のモノをもとめてたんでしょうね。
求めるばかりだとイカンのだなぁ、と。
受け止める側もそれなりの態度をとらなイカンなぁと思い至ったわけです。

そして今日もラフォーレの続きがあって誘われているのだけれど
どうも乗り気になれてません。

食傷気味なんていうと偉そうだけれど
自身の中の態度を定めないと楽しめなさそうで。
楽しめてないと誘ってくれた友達にも悪いしね。

あと数時間考えてみます。
お金も無いしね。

 

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2008年12月22日 (月)

否定と否定を掛け合わせていくと肯定になることもある?

僕はジャケットとパンツはいくつか持ち合わせているものの
スーツは持っていない。
最近増えた結婚式にも上下別布のスタイルで参加している。
そこにカッコいい流儀があれば良いのだけれど・・・無いですね。
スーツを買う、用意する、必要とされる機会を作らなかっただけの話。

最近読み終えた本の中に
イタリアはナポリのサルトの人たちの本がある。
本と言っても難しい物ではなく、
様々なトピックスを豊富な写真と共に分かり易く編集されている。
ナポリのスーツの歴史、名人、環境、制度などを
とても分かり易く説明してくれていて僕のような入門者には有り難いモノだった。

その本に感化されて
「さて、僕もそろそろスーツの一着でも仕立てて貰おうかな」
ということにはならず、
「僕がなぜこの本に興味を持ったのか」という
僕だけにしか興味のない僕だけの為に考えてみたかっただけの話。

そういう事に時間を使ってみた方がいいと思う訳です。

自分の生活に有益な事、会社の為になる事、社会の為になる事。そういう事を考えた方が計画的に物事を進められるとは思うけれど、皆が皆そう考えれる事は無いし、同じ答えを導きだす事も無い。それが面白いんだけれど、最初から外れてても良いのではと思います。

その結果に対して誰かが上手い理由付けをしてくれたら残るし誰にも共感してもらえなければ消えていくと言うだけの事。

でも、本気で考えていたら形にならずとも次に繋がる燃料になると思ってるんですけどね。

そう考えるとこういう時間も良いかもと思えるという話。

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2008年3月 2日 (日)

買い物してます

このところ、
配達されるもが多く
家には小さな小箱がコレクションのように集まってくる。
手頃な箱が集まるのは良いのだけれど
つまる所、児島で探しても見つからない為
Net上(主にAmazon)で買い物をする量が増えたからだ。

そもそも買い物嫌いでは無いけれど
それほど買い物好きではない僕が
Netを使ってまで買い物をするのは
探し物が周辺地域で見つからないこともあるけれど
ある種の刺激物を欲しているからに他ならない。

今のライフサイクルから飛び出るようなモノ。

それを簡単に引き寄せたがっている
自身の怠慢さの現れなんだと思う。

モノを摂取することで
結果的には一時的な刺激にはなるのだけれど
本質的な問題の解決にはならず
単なる時間を埋める道具になっている。
それでも活字とビジュアルは
幾分かの想像力をかき立てるので
それなりの影響力はある。

いかん、いかん、と思いつつ
ついつい手を伸ばしてしまう。

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2008年1月26日 (土)

泥にまみれても

"約束を守る"という事を
最初に聞いたのは
保育園に通っていた時だろうか。

今まで僕が生きてきて
多くの事を大人たちから聞いてきたけれど
思春期を通り抜ける過程で
その多くは矛盾を孕むモノであったり
建前であったりする事を実感してきた。

それでも
"約束を守る"と言う事は
その過程を経ても揺るぎない強度を保っている。
だから守れることは当然のことであり、
守れないことで強烈な後悔と反省を感じてしまう。

毎日の生活の中で
人と関わっていく以上
多くの約束を交わしていく。
そのレベルは口約束であったり
文書での約束であったり
暗黙の約束事であったりするけれど
その方法に対する意識の違いに関係なく
約束は約束であって
それ以外の何者でもないと思っていた。

しかし、どうやら自分達が生きる状況において
仕事の現場と言うのはそうではないらしい。
仕事をライフワークと捉える人にはそうとも言えないが
仕事を飯の種と考える人程
約束と言うのは
自分に都合が良い約束だけであり、
そうで無い事は守るべきことではないらしい。

仕事を続けると言う事は
そういった事とも上手くつき合う事なのだろうけれど
僕には分からない。
その先に何があるのか、全く分からない。
守れないのと守らないのは違いがあり、
守れないなりの説明責任があるものだろう。

自身の子供に約束を守る事を説き、
自身は守らない。

僕はあの裁断屋を忘れない。
僕は泥にまみれて汚れても
あの醜さは決して持たない。



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2008年1月20日 (日)

あっちこっちから

自分の中には何人かの僕がいて
その場の状況に応じて
チョイチョイ顔を出してくる。
その事は以前のblogでも書いたけれど
最近は出てくる僕の中の僕は
ちょっとナーバスでネガティブ感じなので
抑えるのやっかいだ。

別にそういう奴がいる事はいいのだけれど
前のめりに行きたい時には
足を引っ張られるので厄介だ。
場合によってはそいつの中に
僕が収まってしまう時がある。

そういう時は後々に響いて来るし
響いて来たので厄介だと感じる。
近年はそのような状況にも敏感になり
いろいろと回避する事も
出来始めてきたけれど
ここ最近は畳み掛けて
顔をあっちこっちから出して来るから
手に負えん。

それでも明日があるので
準備だけはしておこうと思う休日です。


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2008年1月13日 (日)

休日のオモチャ

何処が今一番いたい場所か考えると
すっと思い浮かぶのが
休日の職場だと思えてしまう。

他の誰かがいるわけでもなく、
雑音があるわけでもなく、
邪魔をされる要素が全くない。
そこには
大きな机と
数台のミシンとアイロンと
PCと
不良品とされた生地があり、
それらは仕事の対象であると同時に
僕の大切なオモチャであったりする。

そこで、podcastを聞きながら
何かしらゴソゴソとしている間は
時間を忘れてしまい
いつの間にやら日が暮れる。

勿論そこにいるだけで
本質的な豊かな生活が送れる訳は無い事は
分かっているつもりで
そこから仕事とか肩書きを取っ払った
他の人と繋がっていければ
先に繋がっていける事も分かっているのだけれど
自分のベースをきちんと把握して
スタートラインを引かないと
始まらないのも、また事実でしょ。

仕事が始まってから初の二連休。
今の感じだと、二日とも職場に出かけそう。

僕の携帯には会社では無く、
アトリエとして
電話番号が登録してある。

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2008年1月 5日 (土)

正月温泉ブランコブルース

もう何度目かの新年を迎えて
気持ちを引き締める訳も無く、
ただボーッとする訳でもなく、
僕にとっての日常を
密接に もしくは 離れて
眺める。

今年も年が明けてから
年賀状を実家で書き上げる。
ここ最近は誰かと共作で作っていたけれど
今回は白い紙に黒い文字だけで綴った。
ある意味初心表明だったりするので
今回は何も色をつけたくはなかった。

昨年に続き
今年も宇和島へ向かう。
今回は一人で行ったものの
たった一人で4、5時間
高速を走っていると
やや気がおかしくなる。
あのスピード感は
乗用車のそれであれ
進むことと死ぬことのエッジに
自分自身がフラフラ立っているようで
全く居心地が悪い。
飛ぶことには興味があるけれど
速さには関心が無いらしい。

温泉に向かい
地元の温泉エンターテイメントを知る。
熱く濃厚な土着感に埋没。
確かな強敵に違いない。
その心地よさを投げ捨てて
創造性をとる輩などは果たしているものか。

暗がりの中
赤松ののぞき岩に向かう。
あのブランコに乗ることが
今出来る最短のトリップ。
しかしながら老朽化の為か閉鎖されている。

あ〜、ブルースが聞こえる。
確かに五木ひろしは宇和島ブルースを選ばなかった。

地元のオッチャン達が
ジャックダニエル二本と
ポテチで飲んでいたので話してみた。
ウィンドサーフィンが趣味の
この二人のおじさんは
ただブランコに乗りにきた僕を
いぶかしげに招いてくれた。

しかし、
その内の一人のオッチャンは
造船所のオッチャンであり、
大竹さんの作品の制作をしていたオッチャンであった。
僕が大竹さんのファンである事を告げると
目が俄然輝き出し
作品の話や大竹さんの話聞かせてくれた。

これもまたブルース。
ジャジーではあってもロックではない。
ましてテクノやハウスでもない。
じわじわと滲み出る哀愁が
ジャックダニエルの瓶のそこから匂い立つ。

地元で友達と呼べる人たちと
結局、計らずとも
夜な夜な外に出歩く。
18で外に出てから
もう10年近く繰り返されるこの習慣。

それでいて10年越しに
進んでカラオケboxに足を入れる。
歌うは越路吹雪の"ろくでなし"。

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音程を外した自らの声に
忘年会の二の舞を思い出す。
暫しの沈黙のあと
頭の中にのぞき岩で聞いた宇和島ブルースが
かすかに聞こえ始めた。









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2007年11月 4日 (日)

雑念として

岡山で生活するようになって
もう一ヶ月が経ってしまった。
かといって
僕が生活をするこの地域の事が
何かしらわかる事もなく
家と会社の往復で
毎日がドンドン過ぎていく。

それでも不都合があるわけではなくて
不満もさほど感じないから
不思議な感じだ。
東京にいた頃は
何かしらに対して不満と不安があった。
強い人間はそこに
自身の動機付けを行い
どんどん広がっていけるのだろうけれど
僕はさほどの行動を起こせたわけではない。

それでも
自分の中で何かしらの熱は溜まっていたから
外に出て行けたのだと思う。

今は不安は相変わらずだけれど
過剰な不満が無い事が不満だ。
僕は仕事をする場所は選んだけれど
生きていく場所を選んだわけではないから。

一方的な刺激物が少ない事は
自分にとっては良い事で
そこで自分の内面と向き合う時間が作れる。
静かなスタイルと実直な行動。
ただ、それは今の土地特有のものであるはずも無く
世界中の何処にでもあるわけで
そこの事を知らずに
温々と流されていく事には
全く興味が無いし、恐ろしくも感じる。

僕が知らないだけで
何処にいようとも
WARNINGな場所はあり
この町にも存在していて
仕事を通して少しづつ気付いてきた。

"書を捨て、街へ出よう"
と言ったのは寺山修司だけれど
あれは東京だけでも新宿だけでもなく
いつだって何処の街でも言える
キャッチコピーだったはず。

そう思いながら
今日も会社のアトリエに座っている。

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